ニッケイ新聞 2012年1月24日付け
墨汁を薄めて少し緑を溶かしたような色合いの日本海は、台風が近いというのに妙に凪いでいる。その海や浜辺も内陸部に連なる山間も、はじめて見る景色ながらどこか心温まり、しみじみと懐かしい。これがわが故国の風景なのだと思うと、見知らぬ土地にも望郷心は癒されるのである。
日本海沿いに信越本線を走っていた特急北越6号は、直江津駅からJR西日本経営の北陸本線に入線し、平均時速90キロほどでさらに南下を続ける。
しばらくして糸魚川駅を通過した。ここ糸魚川産の翡翠が近年、青森県の三内丸山遺跡から発掘されて大きな話題を呼んだことがある。5千年前の縄文人たちが、遥かな土地同士で交信し合い物流を行っていたのだ。
以前、同遺跡を訪れた際にこのことを知り、縄文人の冒険心と好奇心の強さに感嘆したものだが、車内アナウンスで「糸魚川」と聞き、こんなにも遠隔の地にあってと感慨をいっそう深めた。
特急によって汽笛の音は違うものだ。北越号は時折、ホーギィーとジュラ紀の怪鳥みたいな奇声を発しながらサンパウロとは姉妹州県の富山県内をたちまち通過。午後4時40分過ぎ、金沢駅に着いた。
ここで再々度、列車を乗り換えなければならない。同駅始発名古屋駅行き特急しらさぎ14号の発車までは7分しかなく、しかも北越6号が少し遅れ気味に着いたので、新潟駅同様、また小走りにホーム移動をさせられた。長時間の汽車旅で少し疲れが出てくる。
初日の「望郷阿呆列車」は、福井県芦原(あわら)温泉駅まで。午後5時25分、小雨のパラつく福井県下随一の温泉街に下車した。タクシーで宿泊先の米和旅館に向かう。
宿泊予約を頼んだ東京の旅行代理店には、部屋食の注文をつけていたせいか、いかにも年代めいた小ぶりの旅館だった。あとで聞いたら築130年だという。正統派温泉旅館の証しなのかどうか、部屋へ向かう廊下の途中に卓球室があった。壁際にはブラジル製と思われるモルフォ蝶の壁掛けがかかっている。
案内された部屋に入り、気がかりだったのですぐテレビをつけた。四国から紀伊半島にかけた一帯へ、大型台風12号が上陸する直前だった。このまま西進すると、わたしが明日からたどるコースを直撃してしまう。困ったな、テレビをつけたまま、わたしは考え込んでしまった。
「望郷阿呆列車」は2日目、敦賀から小浜線経由で山陰本線に抜け、城崎温泉で1泊する予定だった。3日目は車窓右手に日本海を望みながら島根県益田駅まで行き、翌日もあえて日本海側沿いの南下にこだわり、1区間は鈍行を利用しながら山陰本線に乗り続け、山口県の萩を経て下関駅に到達する計画でいたのだ。
やがて案の定、城崎温泉の宿泊旅館から女将らしき声で、わたしのケータイに電話がかかってきた。「こちらは土砂崩れや洪水の危険性が増してきています。キャンセル料など要りませんので、来ないほうがいいですよ」と断られる。山陰地方は、台風のたびに大騒ぎする土地柄らしい。
夕食前に温泉に入りながら唸ってみたが、良案は浮かばなかった。部屋に戻り、千葉の長兄に電話で相談したところ、「最近じゃ地震、津波に火事、台風だ。避けて通るか、待つしかないよ」と、にべもない。
この間にも四国、近畿一帯は暴風雨圏に入り、各地に被害が続出。テレビがテロップで流す死者、不明者も刻々その数を増している。