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沖縄空手範士10段が誕生=ヴィラカロン与那嶺育孝さん=海外初、弟子らも駆けつけ=サンパウロ名誉市民章も

ニッケイ新聞 2012年1月27日付け

 沖縄空手の普及に努める与那嶺育孝さん(71)=サンパウロ市ヴィラカロン=が、日本国外在住者としては初の空手範士10段を取得し、認定証授与式と祝賀パーティーが25日夕方、沖縄県人会ヴィラカロン支部で盛大に開かれた。高校時代からの盟友で、沖縄空手道剛柔流琉翔会総本部会長の瀬名波重敏氏(71、那覇)=豊見城市在住=が駆けつけ認定証を手渡したほか、サンパウロ名誉市民章も授与された。家族や友人、県人会関係者や他流派の指導者のほか北伯、チリ、米国などから門下生が駆けつけ、約270人が〃センセイ・ヨナミネ〃の晴れの日を祝った。与那嶺氏は「家族や弟子に恵まれた」と喜びを露わにしながらも「責任は重大。こらからも人材育成に努力したい」と表情を引き締めた。

 空手道の最高段位である10段範士は日本に20人ほど。9段範士を取得して7年以上、70歳以上であることが条件。人格も重視される。
 与那嶺氏は1941年、中頭郡西原町生まれ。13歳のとき友人同士で空手を始めた。「墓場で練習した。米軍兵も相手に喧嘩も良くやりましたよ」
 61年、20歳のとき家族で農業移民として渡伯。「ブラジルで空手の指導者になる」という夢を掲げ、仕事の傍ら、巻藁(藁を巻きつけた板に拳や足を叩きつける稽古法)での稽古に毎日励んだ。
 67年にエレーナさん(65、二世)と結婚、県人会ビラカロン支部の柔道場で教え始めた。
 「皆仕事が終わってくるので、稽古は夜12時からだった」と振り返る。以来指導を続け、現在も弟子らと道場で汗を流す日々だ。
 州、全伯、南米、汎米、世界大会に出場する選手を多数育て上げ、国内だけで1千人、チリ、亜国、ポルトガル、カナダ、ルーマニア各国で指導、世界に約5千人の門下生がいる。
 指導者の育成にも尽力し、「世界空手道連盟が認定する、唯一の沖縄出身の一級審判員」(瀬名波さん)で南米、世界大会で指導を行う。
 5段の次女、ユミさん(41)は「とても厳しいが、尊敬している」と誇らしげに話し、母のとよさん(92)も「とても嬉しい。それだけです」と満面の笑みを浮かべた。
 娘が門下生という玉城武政さん(63、南城市)は「素晴らしい人物。教育、人格形成の手段としての空手指導者としては最高だと思う」と賞賛した。
 セレモニーの後は家族の手によるメッセージビデオの上映や、空手のデモンストレーションなども披露され、祝賀会は最後まで賑やかに盛り上がった。

沖縄、ブラジルで両輪となって活躍=来伯2度目の瀬名波氏=「世界の武道家の親善」にも期待

 与那嶺氏と瀬名波氏は、県指定無形文化財保持者で沖縄空手道剛柔会名誉会長だった故八木明徳氏に入門し、ともに直接指導を受けた高校時代からの友人だ。
 瀬名波氏は88年に与那嶺氏に招かれて来伯し、今回は2度目となる。現在、沖縄空手道剛柔流の最高指導者として北米、ドイツ、インド、キューバ、オーストラリアなど世界各国で指導を行う。
 セレモニーでは「今後ますます精進し、世界の沖縄空手の普及と、世界の武道家の友好親善に尽力してもらいたい」と期待を示し、「義理堅く、心が許せる友人。やると言ったら必ずやる、妥協しない人」とその人柄を評した。
 また指導者としても「日本の指導者と比べとても研究熱心」と絶賛し、「沖縄では型ばかりやって、さほど指導が厳しくない。見直す必要がある」と現状を話した。
 「練習と鍛錬は違う。鍛錬をしないと、技が軽くなって、腰の据わらない空手になってしまう」(与那嶺氏)。「道場からは会社の社長や医者、弁護士など人格者が多く巣立っていった。それが嬉しい」と顔をほころばせる。
 「空手をやっていて良かった。もともとひねくれ者で、沖縄に居たら良い人間になれなかったと思う」と笑いながら、「人の痛さが分かる人間になれた。空手が人生を作った」と真剣な表情を見せた。
 毎年沖縄を訪れるという与那嶺氏は、瀬名波氏と空手の将来について語りながら酒を酌み交わすのが楽しみだという。「お互いに長生きしようと言い合っていて、タバコも止めているんです」と笑う。
 「今日の最高の来賓です」と与那嶺氏に評された瀬名波氏は、10月からオーストラリアに指導に行くと言う。「出し惜しみせず、今後も色々教えていきたい」と笑顔で語った。