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特別寄稿=望郷阿呆列車=ニッケイ新聞OB会員 吉田尚則=(9)=観光列車に乗る

ニッケイ新聞 2012年1月28日付け

 午後まだ早い時間、熊本駅に到着した。宿泊は駅横手のホテル・ニューオータニ。なんの手違いか超スイートルームなのだ。
 早速確かめると、通常宿泊料金の3分の1だった。支配人風は、口を濁してサービスだと言った。ここは肥後だから、仙波山のタヌキにのせられたか。
 ところでこの仙波山だが、後日調べてみたら熊本にそんな名の山は無く、異説ながら、なんと埼玉県川越地方にある山名で、「あんたがたどこさ」はそちらの童歌だったらしい。 それじゃいつ、熊本の誰がこの唄を拉致して、肥後の手鞠唄にしてしまったのだろう。これもタヌキに化かされたような話だ。いずれにせよ豪華な部屋に悪い気はせず、荷物を置いて熊本城見物に出た。 
130余年前の西南戦争時、薩摩の大軍が熊本城を取り囲んだ際、副将格の少将桐野利秋などは手に持った鞭を一振りして、「1日で踏みつぶしてやるわ」と豪語したとか。
 しかし谷干城政府軍司令官のもと、熊本の鎮台兵らが奮戦して落城を防いだ。熊本まで来たからには、加藤清正の築いたこの堅城は見ておきたかった。
 市街の一角に威風堂々と、熊本城はそびえている。本丸などは失火で焼失しているとはいえ、城郭や高層櫓を支える石垣がまず見事だ。
 堅牢に緻密に構築され、そのまま曲線を描いて上方に達する石組みは芸術的ですらあり、わたしは感銘を受けた。この城を落とせぬまま撤退を余儀なくされた西郷隆盛の心境はどうであったろう。わたしは、ほど近い場所から名城を一望するだけで満足した。
 旅の第5日目、9月6日は昨日に続いて快晴だ。熊本駅から特急くまがわ1号に乗り人吉へ。ここで観光列車に乗り換えて吉松に至り、さらに特急はやとの風1号で隼人を経由し鹿児島中央駅に至るコースをとった。 
 気鋭のデザイナー、水戸岡鋭治氏の作品になる観光列車は、明るい材質の杉と思われる板で車内が組み立てられ、窓外に向けた展望用の特別席があったりして、移動が目的だからただ座ってるだけという、これまでの客車の概念を一蹴するような卓越したデザインである。
 同氏のデザインは九州新幹線にも見られ、なるほどJR九州が大々的にPRするはずだと感心した。しかし派手な宣伝などどこ吹く風と、現場の乗務員らは列車の機能なんか熟知せず、車内に説明書のたぐいも無いのは九州人の大らかさ故か。
 観光列車いさぶろう1号は、南九州の丘陵地帯をのんびり走る。左手遥かに霧島連峰がかすんで見える。
 時間は少し早いが、駅弁を開いた。JR九州で3年連続売上トップの「鮎屋三代」という名物弁当。球磨川産アユ1尾の甘露煮が、炊き込みご飯の上にデンと鎮座ましましている。が、それだけのハナシで、ふつうの甘露煮と大差ない。
 そういえば小倉で求めた錦糸卵と鶏そぼろ、海苔の三色かしわめしも、おすすめ駅弁のわりには味が単調で、食べている途中で飽きてしまった。
 それより窓外のほうが面白い。日本最古の木造駅舎・大隅横川駅や急傾斜を上るため列車が行うスイッチバック、円周を描くように高所をたどるループ線など興趣尽きない光景が展開される。
 いつもの瞑想癖も忘れてこれらを見入っているうちに、列車は鹿児島市域に入ってきた。左側に見えだした鹿児島湾の向こうに、桜島が薄い噴煙を上げている。
 このあたりのお天気番組では、桜島上空の風向き予報が大事なのだそうだ。噴煙は年中あり、気を付けないと洗濯物が汚れてしまう。
 午後0時48分、ついに鹿児島中央駅にたどり着いた。♪ここは鹿児島、旅路の果てか、か—。森進一の「港町ブルース」気分になる。しかしまだ果てではない。もう少し南へ。
 鹿児島市は曾遊の地である。30年近く前、2日ほど滞在し市内をあちこち見物もしたが、新幹線を迎えてから駅の構内が大規模に一変した。
 この駅の端っこのホームに指宿枕崎線があった。特急指宿のたまて箱5号に乗り指宿温泉を目指す。