ニッケイ新聞 2012年2月1日付け
今年は東京—大阪間で新幹線が開業してから47年になる。0系と呼ばれた初代新幹線の最高時速は210キロだった。半世紀近い進化の時を経て、現在のN700系は時速300キロ走行が可能となった。
わたしは旅の3日目に新大阪駅から小倉駅へ向かった際、時速300キロを体感する幸運に恵まれた。台風の影響で新大阪駅の発車が7分ほど遅れていたのだが、小倉駅に定時に着くため、山陽新幹線だけが可能な300キロまでスピードアップしたのだ。
N700系の先頭部分がアヒルの嘴のように平べったく長いのは、トンネルに入る時の風圧衝撃を従来型よりいっそう低くするための、究極にちかいデザインらしい。車内では振動はほとんどなく騒音も聞かれない。
水戸岡氏の粋を凝らした意匠に包まれながら、静かで安定した時間が流れている。外部では、空気を切り裂くように超高速の時を疾駆しているというのに、わずかにレキレキコーコー、レキレキコーコーと、阿川テイトクの感じた車輪音が聞こえてくるだけだ。
一段落ついたところで席を立ち、グリーン車周辺を見て回った。洋式トイレは車椅子でも用事がたせるよう広い間取りで申し分なく、もちろん北陸路のように男女共用ではない。また喫煙室まで特設されてあった。
席に戻ってしばらくすると、列車は南九州の山稜地帯を抜け平野部に入った。鹿児島で買い求めた駅弁を開く。鹿児島名物黒豚の味噌焼きをどっさり盛り付けた黒豚弁当。この地方特産の高菜の醤油漬けもどこか昔懐かしい味で、ゆっくりと賞味した。
しかし新幹線という乗り物は、窓外の風光を楽しむには適していないことに改めて気づかされた。近くの視界はあっという間にぶっちぎれてしまうし、遠くに目を転じても近眼のわたしにはぼやけた景色が映るだけだ。
周囲には五分入りの乗客。この日本人たちは、何処へ行こうとしているのか—。脳裏に取り付いて離れないテーマが再び首をもたげ、わたしは瞑想に入った。というよりもはや迷想に近いか。
この日本人たちは、かっては大陸続きだった赤道直下のスンダランド地域から、3、4万年前に北上してきたホモサピエンスの末裔であることは間違いない。
琉球列島をたどった先祖もおろうし、大陸からやって来た新人も多かった。人類初の地球規模の大移動は、このころ終末期になろうとしている。 日本列島入りした原初の人々は、ゆっくり時間をかけて列島を北上するなかで縄文人と呼ばれる先住民となり、大陸を経てコメを手土産に携えて来た後発組は弥生人となった。
島嶼の生物は体躯が矮小化するという説を裏付けるように、大和の人々は背が低く、寒冷地の生活に適した低い鼻梁と厚い瞼を持ち、比較的白いハダが北国の弱い紫外線からでもビタミンDの吸収を助けた。
「望郷阿呆列車」の車窓から見てきた日本人のいずれもが、適者生存の原則を体現したような相貌を持ち、数万年住み着いて使い古した狭い列島で活動していることに、わたしはいささかの憐憫と同族ゆえの愛情を感じたのだった。
異次元空間にさまようような迷想はまだ続いていた。ならば、移民としてのわたしの立場はどうなるのか、憐憫などと笑止な言辞を弄しながら、おまえはどこへ行こうとしているのだ。
天の一角から、「阿呆列車」に急ブレーキをかけるような命題を突き付けられたが、新幹線の方がきょう宿泊する新神戸駅に着いてしまった。