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特別寄稿=望郷阿呆列車=ニッケイ新聞OB会員 吉田尚則=(12)=神戸で1泊表敬

ニッケイ新聞 2012年2月2日付け

 鹿児島中央駅から新青森駅までの2千キロ余りを1日で新幹線走行しようとすれば、できないことはない。
 「望郷阿呆列車」で旅の友としたJR時刻表(2011年8月号)を引くと、この作業が実は楽しいのだが、鹿児島をさくら400号で午前6時7分に発てば、博多駅に午前7時51分に着く。
 同駅で午前8時発ののぞみ14号に乗り換えると、東京駅に直行して午後1時13分到着。さらに同駅の東北新幹線ホームから午後1時28分発のはやて169号に乗ると、新青森駅には午後5時19分着と楽勝。浅虫温泉あたりでゆっくりくつろげる。
 だが、わたしは新神戸駅で下車した。神戸はブラジル移民出立の地であり、横浜出港組のわたしだが一応、敬意を表したかったのだ。駅に近いビジネスホテルにカバンを置くとすぐ、タクシーでかつて神戸移住センター(戦前は国立移民収容所→神戸移住教養所)と称した神戸市立「海外移住と文化の交流センター」に向かった。
 異人館の多い山の手にあるセンターの建物は、往時とさほど変わっていない。内部では、海外移住に関する資料展示室やこの地域に在住する外国人への支援活動の拠点、また国際芸術交流への場の提供などの活動を行っていた。
 海外移住時代の沸き立つような活躍期も遠く過ぎ、今はボランテアをしながら静かに余生を送っているといった風情が旧い建物に漂っていた。
 このあと神戸港のメリケンパークに行き、10年前に建立された「移民船乗船記念碑」を見学した。子供連れの若夫婦らしき立像で、ずいぶんとスマートな姿だ。
 万里の波頭を越えて今、異国に赴く者たちの奮い立つような昂揚感と、幾分の不安感が彫像ににじみ出ているようにはうかがえなかった。制作者に移住経験でもないかぎり、同港から発った40万人の移民たちのこうした精神作用を作品に投影させるのは難しいのかもしれない。
 市内に戻る途中、表向き被害の跡形もない16年前の神戸・淡路大震災について、運転手に「もう完全に立ち直ったようだね」と水を向けた。「いや、震災不況というか、購買力も落ちたままだし、経済的にはまだ厳しいよ」と、言下に否定されてしまった。
 6400人以上の犠牲者を出した大地震だったが、わたしは死者・不明者2万人におよぼうという東日本大震災に思いを走らせ、浮かない気分となった。
 9月8日、「望郷阿呆列車」はきょうが運行最終日となる。といって、こと改まった気分もせず新神戸駅発上り新幹線ひかり466号に乗り、定刻の午前9時25分、わたしは東京に向けて出発した。
 列車は大阪、京都、名古屋などの大都会を切り裂くように快走し、スピードも緩めずに静岡駅を通過したあたりから左手に快晴下の霊峰富士が見えだした。写真でおなじみの冠雪はみられず、赤茶けた地肌が連日の異常な酷暑に堪えているかのようだった。
 東海道新幹線の窓外には、いよいよ途切れ目もなく家並みが続く。遠望される山林の手入れも行き届いているようで、列島全体が整然として清潔感を覚える。
 例えばどこの町に外客を迎えても好感が得られるだろうし、このへん、W杯サッカーや五輪を前にして一小市民のわたしですら懸念が深まるブラジルとは大違いだ。
 そんなことをぼんやり考えているうちに新横浜駅を過ぎ、定刻の午後0時40分、ひかり号は東京駅新幹線ホームに滑り込んだ。
 飽くことなく五欲を求めて欲望渦巻く、ここは花のお江戸東京である。年老いて、どうやら健在なのは食欲と睡眠欲くらいのわたしには、花のお江戸は眩しすぎるし疲れる。名物駅弁を買い求めるだけで一路、青森を目指すことにした。