ニッケイ新聞 2012年2月3日付け
ジウマ大統領が1日、2010年1月12日にマグニチュード7の地震に襲われたハイチを公式訪問。ブラジルがハイチ人へのビザ発給を制限したのはコヨーテ達の暗躍を防ぐためで「ブラジルの扉は開いている」と説明し、ハイチ側の理解を得たと2日付伯字紙が報じた。
首都ポルトープランスも壊滅状態となり、30万人超の死者が出た大地震から2年余りの1日、初めてハイチに降り立ったジウマ大統領を迎えたのは、ブラジルの国旗と大統領の写真だった。
1804年にラ米初の独立宣言をなし、世界初の黒人による共和制国家建設という歴史とは裏腹に、西半球で最も貧しく国民の8割が貧困に苦しむという同国。地震後の復旧は困難を極め、ポルトープリンスには今も50万〜60万人のキャンプ生活者がいる。
国民の7割が小規模農場で自給生活するハイチでは熱帯性暴風雨などの自然災害も後を絶たず、地震後に送られた40億ドルの国際支援も支援国に送り返されたり医療活動などに使われたりしたものが大半で、住宅再建などの生活の建て直しは遅れに遅れている。
これという地場産業もない同国の人々にとり、ブラジルは、国境を閉ざす傾向にある米国に代わる夢実現の場。旅券なども偽造し国境を超えさせるコヨーテと呼ばれる人を介し、300〜5千ドルを払ってでもブラジルに行き、仕事について家族に仕送りまたは家族呼び寄せを考える人も急増した。
ところが、コヨーテに法外な金をせびられて不法入国したハイチ人が大量に難民申請をした事で実態が明らかになり、状況を正常化するため、ブラジル内での雇用が確保されてない場合も含め、2年間の特別ビザを月100件まで発給と決まったのが1月12日。
特別ビザは在ハイチ大使館で発給。ビザ取得者は家族同伴も認められ、来伯者は100人超となるはずだが、その一方、13日以降の不法入国者にはブラジル内でのビザ申請が認められず、アクレ州やアマゾナス州内のハイチ人が動けなくなった、ペルーなどの国境で足止めされたハイチ人急増といった報道もある。
ブラジル内のハイチ人は約4千人と見られ、内2400人が不法滞在だが、1月12日までに入国した人は合法化される見込みだ。ロンドニアやミナス、南大河州などにはハイチ人に手を伸べる企業がある一方、サンパウロ市なら仕事にありつけると信じて来たが移民の家の世話になっている人もいる。
ビザ制限はコヨーテなどの魔手にかかるのを防ぐためとの説明にハイチ側は満足の意を表したというが、国連の安定化ミッション(MINUSTAH)縮小で、中心となる伯陸軍も今年288人減る。
ハイチ国内で自活できるのが最善とジウマ大統領はいうが、そのための支援策は報じられていないのも気がかりだ。