ニッケイ新聞 2012年2月8日付け
市長、市議選を前に、ジウマ政権初年に女性政策局長官を務めたイリニイ・ロペス氏が退陣し、後任にエレオノラ・マニクッシ・デ・オリヴェイラ氏が就くことが発表されたと7日付伯字紙が報じた。サンパウロ連邦大学副学長でもあるエレオノラ氏は、軍政下に投獄され、ジウマ大統領と同じ牢で過ごした経験もある人物だ。
ブラジル初の女性大統領でもあり、閣僚には女性を積極的に起用したいと公言していたジウマ大統領が、新女性政策局長官に旧友のエレオノラ氏を指名した。
イリニイ現長官がエスピリトサント州ヴィットリアの市長選に出馬するため、後任にエレオノラ氏が指名される可能性がある事は6日付エスタード紙でも報じられていたが、新自治相の就任式が行われた6日午後、女性政策局の後任はエレオノラ氏で、10日に就任式と発表された。
選挙選出馬による閣僚交代は、元教育相のフェルナンド・ハダジ氏がサンパウロ市長選出馬のために辞任し、後任にアロイジオ・メルカダンテ科学技術相、その後任にマルコ・アントニオ・ラウップ宇宙開発庁長官が就任したのに続く第2弾。
イリニイ長官指揮下の女性政策局は、モデルのジゼリ・ブンチェンが登場するランジェリーの宣伝が女性蔑視に当たるとして放映停止を命じた事や、12月の第3回女性政策会議の運営で批判が出た事などが目立つくらいで、実務派のジウマ大統領としては不満があったとも言われている。
そういう意味では、ミナス州出身の元学生運動家で、軍政時代の1971年7月に政治犯として投獄された経験もあるエレオノラ氏は、ジウマ大統領も人となりを熟知する人物の一人として、信頼を得たようだ。
エレオノラ氏はミナス州ラヴラス出身で、大統領とはベロ・オリゾンテで学生活動に加わった頃からの知り合い。軍政時代には政治犯の1人として、〃ドンゼラの塔〃の異名も持つサンパウロ市のチラデンテス・ビルに収監されており、大統領と共に痛みや友情を分かち合った仲だ。
1973年に自由となり、新しい人生を築き始めた点もジウマ大統領と同じだが、当時の生活拠点はパライバ州。社会学者で公衆衛生の専門家として大学で教鞭もとるエレオノラ氏は、政治学の博士号をサンパウロ総合大学、女性の健康と労働に関する研究での博士号をミラン大学で取得した才女でもある。
エレオノラ氏は公衆衛生の立場から見て中絶は認められるべきと主張してきたが、G1サイトによれば、中絶を認めるか否かは立法府が扱うべき問題で、行政府に属する自分が扱う事ではないとの姿勢を表明。2010年大統領選で支持率の伸びを左右した中絶について、フォーリャ紙が彼女は中絶擁護派と記述したのとトーンを異にした。