ニッケイ新聞 2012年3月15日付け
【既報関連】1972〜75年にアラグアイア地方のゲリラに関する情報収集などを指揮、〃クリオー少佐〃の名で知られるセバスチアン・ロドリゲス・デ・モウラ氏(78)が、軍政下の誘拐事件の責任者として起訴されると14日付伯字紙が報じた。軍関係者が当時の犯罪を理由に起訴されるのは初めてで、今後の動きが注目される。
現在は退軍し予備役中佐のモウラ氏に対する起訴状は13日に署名されており、連邦検察庁による軍政下の犯罪告発第一号となった。
1964〜85年の軍政下での人権侵害としては誘拐、拷問、殺害、遺体遺棄などがあげられるが、モウラ氏起訴の理由となった誘拐は、トカンチンス、マラニョン、パラーの3州にまたがるアラグアイアと呼ばれる地域での出来事だ。
モウラ氏の赴任当時、アラグアイアにはブラジル共産党(PCdoB)傘下のゲリラや支援者が多くおり、反政府活動家とされて死亡した人の数は67人。41人は軍によって逮捕され、拷問などの後に殺害された事をメモした文書の持ち主がモウラ氏だった。
モウラ氏の文書が明るみに出たのは2009年6月。従来は軍によって逮捕され殺害されたのは25人とされていたが、同氏の文書により、軍との抗争で死亡とされていたゲリラが逮捕されていた例なども判明した。
ただ、1979年に出た恩赦法は同年8月15日以前の拷問や殺害の責任を問わないため、当時の諜報活動などを指揮したモウラ氏も同法の恩恵にあずかる筈だった。
ところが、軍政下の誘拐に関しては、本人の生存が確認されるか遺体が発見されるまでは未解決と理解し、責任を追及できると考えた検察が、モウラ氏を起訴。検察庁が軍政下の行方不明者に関する捜査を進めている事は11日付エスタード紙が報じていたが、モウラ氏は、恩赦法発効後、初の告発例となった。
検察庁が生存が確認できず、遺体も発見されていない行方不明者に関する責任者追及を進める事になったきっかけは、米州機構の人権裁判所が2010年12月に、ブラジルにはアラグアイアで行方不明となったゲリラに関する情報を家族に提供する義務ありとの判決を下した事で、ブラジルが軍政下のアルゼンチンでの迫害者2人を送還した判決例も、検察庁の起訴への動きに弾みをつけた。
軍政時代に行方不明となったままの人は475人前後おり、遺骨収集作業も進まない中、全国弁護士会が13日、2011年に設置が決まった真相究明委員会メンバー7人の人選を速やかに行うよう要請し、賛同者の署名も提出。弁護士会では署名は更に増えるとしており、真相究明委員会が正式に機能し始めた暁には、委員会が集めた情報を基に迫害者らの法的責任を問う姿勢も表明。軍関係者には気になる動きが広がっている。