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カーニバルの〃伝道師〃 中島洋二さん=サンバ国際普及協会が表彰した初の日本人

ニッケイ新聞 2012年3月20日付け

 【共同】リオのカーニバルに16年連続で出場。2月の本番直前、カーニバルを世界に広めたとしてサンバ国際普及協会から日本人で初めて表彰された。
 美大生だった1996年。初の海外旅行で一気に引き込まれた。激しい生演奏と歌、派手な衣装とダンスに彫刻のような山車…。「すべての芸術が詰め込まれている。公道で行うオペラだ」
 「日本人のサンバ」はかつて、下手の代名詞だった。最初は門前払いだったが、日本とリオで半年ずつ過ごしてオーディションを受け続け、体を鍛え上げた。チームの中心人物、メストレ・サーラを務めるまでに上り詰め、地元ドラマやCMにも登場。今はあちこちから声がかかり、ことしも4チームに参加した。
 「踊っていると生きてきて良かったと心の底から思う」。日本人参加者は年々増え、冷笑する人はもういない。第一人者の功績は絶大だ。
 本業はデザイナー。サンバ衣装やヘアモデルの服を制作する傍ら、俳優だった父譲りの整った顔と日本人離れした体格を生かし、自らもモデルを務める。東京・浅草のサンバカーニバルにも20年連続で出場。本場の技術や衣装、趣向を伝え、日本のチームを引っ張る。
 リオのカーニバルでは35歳を過ぎれば大半が一線を退く。「いつやめても悔いはないが、呼んでもらえるうちが花。体が動く間は」との未練も。
 恋人にかつて「サンバと私のどっちが大事なの?」と問われ「サンバを選んでしまった」と笑う39歳。神奈川県出身。