ニッケイ新聞 2012年3月21日付け
岸和田仁(ひとし、59、東京)
東京外大ポ語卒。食品会社駐在員として、ブラジルにはノルデスチを中心に通算19年間住んだ経験がある。日本ブラジル中央協会の理事にして、『ブラジル特報』編集委員。月刊『ラティーナ』連載に書下ろしを加えて単行本化したブラジル文化論『熱帯の多人種主義社会—ブラジル文化讃歌』(つげ書房新社、05年)などの著書がある。
■なぜブラジルにはノーヴァ・リスボアがないのか
【深沢】=前々から不思議だったんですけど、例えばイタリア移民だったらノーヴァ・トレント(Nova Trento、新トレント)とかノーヴァ・ヴェネーザ(Nova Veneza、新ヴェネチア)とか、祖国の町の名を移住地につけて、それが発展して町になって今も名前が残ったりしてますよね。ドイツ系だったらノーヴァ・フリブルゴ(Nova Friburgo、新フライブルク)とか。でも、なぜかノーヴァ・リスボア(編注=ポルトガルの首都リスボン)がないんですよね。
【岸和田】=やっぱり憧れの対象は、ポルトガル人もリスボンじゃなくてパリなんでしょうね。
【小林】=あのマルケス・デ・ポンバールって広場があるんですけど。
【岸和田】=リオじゃなくて、リスボンの方ね。
【小林】=そうです、リスボンです。そこからアヴェニーダ・ダ・リベルダーデがあって。
【深沢】=あっ! アヴェニーダ・リベルダーデですか。身近な名前がリスボンにも(笑)。そこから由来しているんですかね。
【小林】=そうでしょうね。リベルダーデ大通りは、パリのシャンゼリゼをモデルにしている。
【岸和田】=つまり、リスボンもパリを真似している。
【深沢】=あっ、リスボン自身がパリを真似しているわけですか。でも、東洋街の方のアベニーダは全然シャンゼリゼじゃない(笑)。
【小林】=その広場は、パリの凱旋門のところのような感じですよ。大きいロータリーがあってよく似ています。
【岸和田】=ポルトガルはもちろん、永井荷風(編注=小説家、代表作『あめりか物語』1908年、など)じゃないけど、ブラジルのインテリ層の憧れっていうのも19世紀からずっとパリにあった。分かりやすい例ですと、ジョアキン・ナブーコ(編注=1849—1910年、ブラジル文学アカデミー創立者の一人)っていますよね。奴隷解放運動をやったペルナンブーコ出身の文人政治家ですけど。
【深沢】=ええ。
【岸和田】=彼の自伝を読むと、あちこちにフランスのことが出てきて「フランスはすごい」「パリは素晴らしい」って、たいそう褒め称えている。途中であほらしくなって読むの止めましたけど。それぐらい、当時の人はフランスに憧れがある。
【深沢】=19世紀末から20世紀初頭にかけてパリでは数回の万国博覧会が開催されたんですよね。あの当時のパリは、まさに世界の文化の中心地〃華の都〃ですね。
【岸和田】=それはもう、19世紀はそういう時代だった。そんな「ヨーロッパに比べてブラジルはダメだ」っていう意識をひっくり返したのは、1922年のモデルニズモ(編注=ブラジル的価値を主張した近代主義運動)を経て、ようやく1930年代にジルベルト・フレイレだとか、セルジオ・ブアルケ(編注=ブラジルを代表する歴史家、主著『ブラジルの根源(ブラジル人とは何か)(Raizes do Brasil)』1936年など)だとか出てきてからです。
その辺からようやく俺たちの混血性がいいんだっていうのを自己評価するようになって、ブラジル独自のアイデンティティが出来るわけです。それまではブラジルは、後進国だ、俺たちはやっぱダメなんだ、っていう劣等感を、フランスとの比較でずっとひきずっていた。
【深沢】=1920年代以降、ブラジル独自アイデンティティが出来たときに、ポルトガル人はどういう風に見られていたんですか。
【岸和田】=ポルトガルってのは、要するに、まあ悪いけど、2級の国だっていう風にブラジル人も見ている。ポルトガル自身が経済的にはイギリスの支配下にあったわけだし、文化的にはフランスの下だった。
【深沢】=その序列の意識がそのままブラジルにも植え込まれたんですね。旧宗主国であっても、ブラジル人はポルトガルに対して特別な敬意を持つ必要はない、と。
【岸和田】=だからイギリスの植民地がイギリスを見る目線と、ブラジルがポルトガルを見る視点とは全然違う。
【深沢】=ああ〜、かわいそうなポルトガル(笑)。それにしても植民地時代、最初にポルトガル人がかなり多く入ったわけですから、やっぱりノーヴァ・リスボアみたいな街がリオなりサルバドールなり、古いところにはあってもいいような気がするんですが。
【岸和田】=それはあったと思うんですよね。
【深沢】=えっ、あったんですか。
【岸和田】=移民が入る前の17世紀18世紀の、植民地としてのブラジル社会が形成される時代でしょう。やっぱりベースはポルトガルであり黒人でありインディオであり。で、地名なんかもまさにポルトガルの地名が、今でもあっちこっちあるじゃないですか。例えばバイーアの地名でバレンサとかアルコバッサだとかあるでしょ。あれ全部ポルトガルにあるんですよ。
【深沢】=ああ〜、そうなんですか。
【岸和田】=同じ地名だったり、まさにノーヴァ何とかだったり。特にノルデスチなんて一杯ありますよ。
(編注=座談会の後によく調べると、岸和田さんが指摘した通り、17世紀の「オランダ人によるノルデスチ地方侵略」以前にはセアラー州フォルタレーザは「ノーヴァ・リスボア」と呼ばれていたことが分かった。つづく)
写真=どこかブラジルの古い町に似ているリスボンの景観(写真提供=中山雄亮)