ニッケイ新聞 2012年3月22日付け
小林雅彦氏(57、大阪)= 東京外大ポ語卒。ポルトガル大使館への勤務経験は2年間。1985年外務省に入省。87年から91年までポルト・アレグレ、91年から96年まで在聖総領事館で勤務した。03年から07年までブラジリア大使館で勤務した後、07年から2年間をポルトガル大使館で参事官として勤務した。現在は在聖総領事館の首席領事。
■実はリスボンにそっくりなサルバドール?!
【小林】=リスボンに住んでる時に気付いたことがあります。よく対岸にいったんですよ、安い船があってね。それで、帰ってくる時に、リスボンの町の風景がこう正面に見えるわけですよ。それを見たときに、サルバドールの町にそっくりだなって思ったんですよ。
【全員】=ほう〜。
【小林】=あれはやっぱり、最初の首都サルバドールに、リスボンと同じような町並みを作ったんじゃないかと思いました。
【深沢】=じゃあ北東部の方ほど、大航海時代のポルトガルの影響が色濃く残っている訳ですね。でも、1822年の独立以降は何かその、ポルトガルに由来する名前が段々消えてったというのはあるんでしょうか。
【岸和田】=それはあるかもしれない。
【深沢】=サルバドールまではポルトガルに由来する都市名は多いけど、独立したときに首都があったリオ以南の地域や、その時代以降に大きくなっていった町では目立たなくなったとか。だからサンパウロ、リオ以南の南西部ではあまりポルトガルに由来する名前は多くないんでしょうか。きっと、そうやってノルデスチとサンパウロの違いが歴史的に生れてくるんでしょうね。
【岸和田】=それはあったと思うんですよ。やはりサルバドールは当時、サトウキビ産業の全盛期ですからね。その当時のサンパウロはただの未開地だった。森ばかりでわずかな街路があっただけ。
【深沢】=ああ〜、かわいそうなサンパウロ(笑)。当時のサンパウロは「化外の地(編注=王の力の及ばない僻地)」ですよね。
【岸和田】=もう一つの特徴は、ポルトガル人はキリスト教に由来した宗教的な名前をよく都市に付けたこと。まさにサルバドール(救世主)しかり。他にもたとえばベレンっていう地名は、あちこちにありますけど、あれは「ベツレヘム」(編注=キリスト生誕の地)のことなんですよね。北伯パラー州のベレンが一番有名ですけど。
【深沢】=つまり、ポルトガルに由来する都市名をつけるという直接的な影響は独立もあって減っていったけれど、宗教的な都市名をつけるという「ポルトガル的な文化」は残ったと。
■〃非〃計画都市サンパウロ
【深沢】=サンパウロ市はゴチャゴチャってしてますよね。これは、敵からの侵略に備えて敢えてそうやったのかと、よく疑問に思うんですよね。それとも、ただ単に計画性がなかったからああいう風になったのかと。
【岸和田】=サンパウロはね、元々計画性なんてないですよ。
【深沢】=ああ〜、やっぱり。薄々そうじゃないかと(笑)。
【岸和田】=リオは首都だったわけだし、ある程度計画されている。というか、サンパウロの経済力も人口も、リオを超したのは1950年代以降じゃないですか。それまではリオの方が人口も多いし、経済力もあった。
【深沢】=1950年ってけっこう最近ですね。
【岸和田】=たとえば出版界は、ずっとリオが握ってたわけです。それが今ではサンパウロが強くなった。これは1950年代以降ですよ。
今でこそサンパウロって大きな町ですけど、昔はとんでもないド田舎の街で、1820年頃のいわゆるクロニスタによる旅行記を読むと「こんなくそ田舎は」ってぼろくそに書いてありますよ(笑)。
その当時はサトウキビで栄えたレシーフェなり、サルバドールなり、リオなりの方が遥かに上で、サンパウロなんてのはジェズイッタ(イエズス会)が作ったただの教化部落なんです。
それがコーヒー経済の中継地、要するにコーヒーを植えるところじゃなくて中継地として段々大きくなった。そこに後から工場ができて、工業化が進むわけですね。サンパウロの経済がどっと大きくなる。それで人口もどっと増える。で、その時に計画なんかありませんから、ささっと街ができちゃった。だからぐちゃぐちゃ。
【深沢】=なるほど。
【岸和田】=クリチーバみたいな、もうちょっと後の街は計画性がある。クリチーバは、だから、ブラジルらしからぬ都市といえる。でもね、計画都市として古いのはクリチーバじゃなくて、実はアラカジュ(セルジッペ州)なんですよ。
【深沢】=そうなんですか。
【岸和田】=アラカジュの街は一応碁盤の目なんですよ。ただ街が汚くなっちゃったけど。クリチーバより先ですよ。(つづく)
写真=リスボンに似ているという海側から見たサルバドールの様子