ニッケイ新聞 2012年3月24日付け
中山雄亮(ゆうすけ、31、東京)
東京外大スペイン語卒。06年に外交官補としてポルトガルで研修、08年からモザンビーク大使館で3年にわたり政治・経済と広報・文化を担当した。現在は在聖総領事館で副領事。
■亜国にも引け目を持っていたブラジル
【岸和田】=文化的な引け目という視点で考えると、アルゼンチンとブラジルは色んな意味においてライバル意識が強い。今でこそブラジルの方が上になってきたけど、元々はアルゼンチンの方が経済力も文化力も遥かに上だった。かつてアルゼンチン人が持っていたとんでもない自信過剰な意識っていうのは、今は崩されてしまったんだけど、戦前は違っていた。
【深沢】=以前(第2回の時に)「経済的にはイギリスの支配下」「文化的にはフランスの下だった」というポルトガルが持っていた序列意識をブラジルも引き継いだという話をお聞きしましたが、南米においてはさらに「アルゼンチンの下」でもあった訳ですね。〃南米のパリ〃といえばブエノスですよね。
【岸和田】=だからブラジルの知識人は、ついこの間まではパリに対するコンプレックス、ブエノス・アイレスに対するコンプレックスの両方を持っていた。
【深沢】=ああ〜。
【岸和田】=1970年代の終わりによく新聞に出ていた記事は、「ブラジル人は本を読まないから、本屋の数が少ない。ブラジル全土で500軒しかない。ところがブエノス・アイレスだけで500軒ある」なんてね。やっぱり「文化的にはアルゼンチンより遅れている」という意識がずっとあったと思いますよ。
【深沢】=それが15年くらい前からですかね、大きく変わってきた。
【岸和田】=いい悪いは別にして、今アルゼンチンは自信を失っている。
【深沢】=でも今のブラジルの経済情勢ってのは、実際にブラジルが良くなってきたっていう部分もベースとしてあるんでしょうけど、何か無理やり国際舞台に引っ張り出されたみたいな部分が強いような気がしてならないんですよね。
【小林】=国際社会の期待とか。
【岸和田】=ブリックスとかいわれておだてられて。資源でも農産物でも何でもありますからね、ブラジルは。
■ポルトガルとの気質の違い
【深沢】=以前、ポルトガルに駐在されていた方から聞いた話ですが、ポルトガル人は基本的に暗くてまじめで地味な人達で、ブラジル人はどちらかというと、派手で明るくてラテン的で、どこかイタリア人気質の人が多いと言っていた方がいましたが、どうでしょうか。
【小林】=「暗い」というより、フェッシャード(閉鎖的)だと指摘する人は多いですよ。
【深沢】=じゃあ、ブラジル人のほうがやっぱ明るいというか。
【小林】=「社交的」ですね。ポルトガルのリスボンに住んでいたんですけど、うちの近くの日本料理屋の従業員の女性っていうのは、もう半分以上がブラジル人なんです。
【深沢】=ほう。そんなところにブラジル人ですか。
【小林】=他にもアルガルヴェ(Algarve)という南の方のリゾート地なんですけど、そこのホテルなんかに行くとね、マッサージの男性従業員がブラジル人ばかり。
その日本食レストランのご主人が言っていたけど、ブラジル人は人当たりが柔らかい。接客業に向いているって。
【岸和田】=ポルトガルに住んだことはないけど10回くらい行ってます。一番分かりやすい例はホテルとか、タクシー運転手の対応ですね。少なくともブラジルはリオだろうがサンパウロだろうがノルデスチ(北東伯)だろうが、ちょっと受付の女の子に「おー、可愛いね」って言うと、「まあ、ありがとう」とか、すぐに反応がある。
【深沢】=ええ、ええ。
【岸和田】=リスボンなんかだったら「シュ、シュ、シュ」って言われて終わりですよ。愛想ないし、何言ってるかよく分からない。
【全員】=ははは(笑)。
【岸和田】=いわゆるシンパチコ(社交的)であるかっていったら、そりゃあブラジルの方がシンパチコ。ポルトガルは半分くらいかなと思いますけどね。で、同じポルトガル語といっても、けっこう言葉も違う。ホテルで朝飯付きといったら、こっちは「カフェ・ダ・マニャン」じゃないですか。向こうは「小さい昼飯」っていうんですよ。フランス語と同じで「ピッケーノ・アルモッソ」。
【深沢】=そうなんですか。
【岸和田】=列車でポルトガルのコインブラに行った時、昼飯食った時にアテンドしてくれたのが留学生崩れのブラジル人でした。ウエイトレス、31〜2歳。学生時代来たけど、居ついちにゃった。リオの女性でしたね。そういう人本当に一杯いますよ。ポルトガルには。
【深沢】=やっぱり言葉とか文化が近いですよね。
【岸和田】=まあこのブラジル人は文化が近いという理由でポルトガルにいるというよりは、多分に経済的理由が大きいでしょうね。
【深沢】=いわゆるデカセギですか。
【岸和田】=今はブラジルの方が景気いいですけど、その前は十何年前から言葉が通じやすいから、ポルトガルに相当行っているわけですよ。
【深沢】=なるほど。(つづく)
写真=日本移民は太平洋の向こうに祖国を想起したが、ポルトガル人は大西洋の向こうに欧州、アフリカを想った。サルバドールのCidade Altaからみたトドス・オス・サントス湾(写真提供=岸和田仁)