ニッケイ新聞 2012年3月27日付け
TV創成期から、ブラジル喜劇界最大のスターとして君臨し続けたフランシスコ・アニージオ・デ・オリベイラ・パウラ・フィーリョことシコ・アニージオが23日、リオの病院で肺感染による心停止により亡くなった。80歳だった。
80歳になっても積極的に活動していたが、2010年8月頃から体調が優れず、昨年12月22日よりサマリターノ病院に入院していた。
1931年セアラ州生まれのシコは8歳でリオに移住。14歳の頃からラジオ番組に出演しはじめ、32種類とも言われる多彩な声色を操り物真似コンテストで優勝を飾り、アナウンサーや俳優、放送作家の仕事もはじめる。
1950年に、後にシコの代名詞となる多彩なキャラクターの中で最も有名な貧乏教師「ライムンド先生」を生みだしてラジオで人気者となり、59年にはTVリオ局で自身初のショー「シコ・トタウ」をはじめる。
1960年代にテレビ局がビデオテープを使用出来るようになると、複数のキャラクターを演じられるシコの本領が発揮され、特にTVグローボでの「シコ・シティ」(1973〜80年)、「シコ・アニージオ・ショー」(1982〜90年)は人気番組となった。その番組中で、ナルシスト俳優アルベルト・ロベルト、うそつき老人パンタレオン、元サッカー選手のカリオカ(リオっ子)アザンブジャ、南部のお婆ちゃんサロメー、ブラジルの田舎訛りの吸血鬼ベント・カルネイロなど、全部で209存在すると呼ばれるキャラクターを演じわけ、茶の間の笑いを誘った。
そんなシコをTVグローボの元名物副局長のボニは「シコがアメリカ人だったら世界的スターだった」と称し、シコの番組ディレクターを長くつとめたカルロス・マンテガは「イギリス生まれだったらチャップリンだった」と語っている。
2000年にTVグローボの体制批判的発言を行って以降、しばらくテレビ出演が少なくなっていたが、2009年に人気お笑い番組「ゾーハ・トタウ」の特番に出演後は同番組に積極的にゲスト出演するなど健在ぶりも示していた。
シコの死を受け、「ブラジルが生んだ最も輝いた芸人のひとり」と称したジウマ大統領をはじめ、シコと人気を分け合ったジョー・ソアレスやレナート・アラゴン(ジジ)など多くの喜劇人も追悼の言葉を寄せた。
26日付フォーリャ紙によると、未亡人となった6人目の妻マルガ・ジ・パウラさんは、シコの意を受け、死の原因にもなった喫煙撲滅基金を設立することを発表。遺体は火葬に付され、その灰は遺言通り、シコの故郷セアラー州マラングアペとTVグローボのあるリオのプロジャックに半分ずつまかれるという。