ニッケイ新聞 2012年3月28日付け
最近、ある事柄をしらべるため、昔の資料に目をとおしていると、いろいろと思わぬ面に興味をひかれ、本筋から横道にそれることがしばしばある。
私が最初に会ったコロニアの画家は、パウリスタ新聞社に入社してまもなく、木村編集長を訪ねてこられた半田知雄画伯。紹介されてから、もう半世紀にもなる。
新聞に漫画を描きはじめると、半田さんの盟友で聖美会の創設仲間の富岡清治(耕村)さんが、岡本一平全集のうちの「新水や空」と、戦前・戦中の激動期にブラジルの新聞紙上で、政治漫画で活躍したベルモンテの政治漫画集を携えて、若造の私をわざわざ訪ねてこられたのには恐縮したことを思い出す。
私が漫画に関心をもったのは、戦後、朝日新聞紙上に掲載されていた清水崑の政治漫画の魅力にひかれ、切り抜いてはスクラップブックに貼り付けていたが、とくに政治家の似顔絵に一平に劣らぬ凄さを感じたものだった。
そうした好みから、コロニア資料を調べていて名士の似顔絵に出くわすと楽しくなる。新聞、雑誌に掲載されている似顔絵を描いた画家を、直接知っていたことも、その作品と比較できる楽しみがある。当然、肝心の〃しらべ〃の方は脱線して一時停車とならざるをえない。
半田さんが描かれた蜂谷吾輔の似顔絵は、さすがにデッサン力を感じさせるタッチで描かれており、玉木勇治さんの蜂谷専一は、その簡略化された線に顔の特徴が見事にとらえられている。それは玉木作品に見られる画面構成にも共通するものがあるようだ。
戦後、アンドウ・ゼンパチさんや半田さんたち土曜会仲間が刊行した同人誌『時代』8号に、河合武夫さんが執筆された「半田知雄論」で、大福帳を座右にした質屋の番頭に擬した半田さんを描いた、安芸正人さんの挿絵もいい。
性格的に生真面目な安芸さんに、半田さんの番頭姿を描くように依頼した、編集者のセンスのよさにも脱帽する。
同じく『時代』8号の表紙を飾った、高岡由也さんの少女のデッサンが素晴らしい。粗末な紙に印刷されたものだが、その線の美しさはさすがで、つくづく原画を見たいものだと思った。戦前、リオのサロン・ナショナルで、外国人としては初の銀賞を受賞した、力量のほどがうかがえる佳品だ。
そして、画家ではないが素人の域を脱したカリカチュアを描いた意外な人物がいる。戦前ブラ拓経営のチエテ移住地の支配人を務めた古関徳弥さんである。
この人は太平洋戦争の開戦直前に、十六年ぶりに妻子をブラジルに残して訪日し、当時、ブラジル日本移民のあいだで再移住熱が高まっていた海南島を、拓務省の要請で視察したため帰伯できなくなった。
開戦後は軍属として、南方占領地の経済開発調査に赴く途中、敵潜水艦によって撃沈された輸送船とともに殉職した。
戦前、コロニアの新聞界を賑わせた、三浦日伯と黒石時報との対立を揶揄した戯画を、古石毒矢の署名で描いており、手馴れた筆使いで描かれた線描は、見事というほかない。