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ミロー・フェルナンデス死去=ブラジル随一の多彩な文化人

ニッケイ新聞 2012年3月30日付け

 ジャーナリスト、イラストレーター、作家、翻訳家、劇作家など多彩な顔を持ち、ブラジル文化に70年に渡って貢献してきたミロー・フェルナンデスが27日、リオのイパネマの自宅アパートで多臓器不全のため死去した。88歳だった。
 1923年にリオで生まれたミローは、43年に雑誌「オ・クルゼイロ」の記者となり、45年に雑誌「ピフ・パフ」を創刊、46年に最初の著書を刊行など、作家、ジャーナリストとしての活動を活発化させる。その一方、イラストレーターとしての才能も発揮し、57年には初の個展を開催。現在に至るまで、今を写す文と絵で時代を切り取り続けた。
 彼による風刺は政治関係で物議を醸すことも少なくなく、50年代のクビチェック大統領時代には、制作に関わったトゥピ局の番組で大統領夫人をジョークの題材にし、検閲も受けた。
 だが、それが最も発揮されたのは軍政時代で、65年には戯曲「リベルダーデ、リベルダーデ」を発表。検閲を受けたものの反軍政演劇の先駆的な役割を果し、1969年に共同創立者として参加した週刊誌「オ・パスキム」は、軍政に不満を持つ人々の象徴的存在として全盛期に20万部の発行部数を誇った。
 また、大衆誌「ヴェージャ」「ジョルナウ・ド・ブラジル」のコラムニストとしても有名で、82年に当時のレオネル・ブリゾラ民主労働党(PDT)党首を誌面で支持するようヴェージャ誌から求められたのに反対して同誌への執筆を辞めた(2004年に復帰)際も話題となった。
 近年まで積極的な活動を行っていたが、心臓疾患を煩い、昨年は1月から11月まで入院生活を送っていた。
 ミローの死に対してジウマ大統領は「ブラジルと私たちの世代は知性の手本を失った」と追悼の言葉を寄せている。