ニッケイ新聞 2012年4月3日付け
■イタリア移民の方が貧しかった?
【深沢】=ブラス区に州立移民記念館ってありますよね。あれ見に行くと、入ってすぐのところに「なぜ自分はブラジルに来たか」みたいなコーナーがあって、壁面に理由を一言ずつ書いてあるんですよね。
あれ読んでいたら、「戦争や飢饉で食えなかったからブラジル来た」みたいなこと書いてる人が多くて。何かこの夢を抱いてというよりは、自分の国では生きていくのは難しいから、ブラジル行ったら食えるだろうとか、戦争で死ぬのがいやだから来ましたというのが多い。
多分その時代にブラジル来るっていうことに関して、単純に同じ西洋文明、キリスト教文化圏の中で移動して、他の国の方がメシが食えるぞというレベルで来たという印象を持ちました。
【岸和田】=おそらく移民の貧しさは日系移民よりも、イタリア移民の方がひどかったと思いますよ。昔は。
【深沢】=ああ〜、やっぱり。
【岸和田】=日本も貧しくて来た人は多かったんだろうけど、それでも、それなりの服装をして、ちゃんとトランクなんか持ってきたわけですよね。イタリアの移民はもっと着たきりすずめの汚い格好で来た。そういう人達が一杯いた。でもそれはブラジルだけじゃなくてアメリカでもアルゼンチンでもイタリア移民の貧しさは共通ですね。ついでに移民受け入れ側の事情をみると、20世紀初頭の経済的豊かさといえば断トツにアメリカ、次がアルゼンチン、ずっと下がってブラジルですね。あの当時のアルゼンチンってのは経済大国ですから。
【深沢】=そんなに豊かだったんですか。
【岸和田】=日本のGDPより上ですから。1940年代くらいまでは。
【深沢】=そうなんですか。
【岸和田】=今はだめになっちゃったけど。だから移民としてはそれぞれ稼げるところに行きたいから、貧しい移民のなかでも上の層はアメリカ、その次はアルゼンチン、でアルゼンチンにもいけない人がブラジルに来たっていうのが実態だと思いますね。
【深沢】=それすごく納得しますね。日本移民もそのパターンの中で来たと思うんですよね。本当は皆北米に行きたかったけど、排日法案が1924年にできてしまって入れなくなったから、ブラジルへ来たっていう人が多かったですもんね。
【岸和田】=そうなんですよね。
【深沢】=ブラジルへの移民が最多だった19世紀後半のイタリア本国ってのは、ようやく一つのおっきなイタリアを形成した状態というか、全国統一が出来たばかりの頃ですよね。(編註=1861年にイタリア王国が統一をなしとげ、普仏戦争でローマを併合して首都として遷都した)
いわゆる「イタリア人」としての強いアイデンティティってのは、まだなかった時代ですよね。自分の地域の共同体、日本で言ったら「お国」みたいな、薩摩藩だとか長州藩だとか、そういう自己イメージの強かった人達が移住してきてるから、「イタリア人」ていうアイデンティティを作ったのはブラジル来てからの可能性が高いんですよね。
日本移民も笠戸丸時代の人は、おそらく自分の出身県「お国」がアイデンティティの中心の時代ですよね。
【岸和田】=県人会をまず作りましたもんね。
【深沢】=ええ。で、だんだんこっちで周りにイタリア人がいる、ポルトガル人がいる、スペイン人がいるって中で、日本移民は段々、「あ、ナニナニ県人というより、日本人なんだ」とのアイデンティティを形成していった。
■イタリア移民とブラジルの左派運動の関係
【岸和田】=イタリア移民は廃止された奴隷の代わりに来て、数が多かった。その上、1910年代のラディカルな労働運動がイタリアから入ってきた。それは、ブラジルもそうだし、アメリカのアナルコサンジカリズム運動も経緯は似てる。
それはサンパウロ州経済がコーヒーに引っ張られて工業化が進み、マタラーゾ(編注=ブラジル有数の財閥を興したイタリア移民)に象徴されるような産業がどんどんできるわけです。そこにおいては、資本側もイタリア系だし、労働者の方、組合作って戦う方もイタリア人なんですよ。マタラーゾって1950年代まではブラジル最大財閥じゃないですか。
【深沢】=そうですね。
【岸和田】=イタリア語で言うにはマタラッツオですよね。ブラジルのポルトガル語ではマタラーゾになる。そういう資本家もイタリア人だし、過激に労働運動やるのもイタリア人。それは数が多いから出てくる。
【深沢】=サンジカリズムって19世紀の終わりくらいですよね。あの時代にイタリアで、割とその労働組合っていうのを一生懸命していた人達が、政府から迫害されて本国にいづらくなったような人達も含めてブラジルにやってきて、20世紀の初頭にはこっちでアナキスト新聞やらコミュニスト新聞、組合新聞やらイタリア語の新聞を、なんと60種も作っていたというんですよね。(つづく)
写真=イタリア系子孫は何世になっても本国の国籍、パスポートを申請できる。パウリスタ大通りのイタリア総領事館前でその申請の列を作るイタリア系子孫や旅行社の人たち