第10回=「ラテン系アフリカ人」とは

ニッケイ新聞 2012年4月4日付け

【岸和田】=サンパウロもそうだし、あと有名なのは「コロニア・セシリア」っていう要するにアナキスト共産村を作ろうとした。
【深沢】=そんなのがあるんですか。
【岸和田】=パラナ州パルメイラ近郊に。ちょうど帝政が終る頃ですから、1889年。約200名のアナキストたちが入ってきて、それで無政府共産村を開墾するが、10年も持たずにつぶれてしまうのですが。そこに入った人達がかなりサンパウロに流れて、その子供や孫がコミュニストになって行ったんですね。例えば作家ジョルジ・アマードの奥さん、ゼリア・ガタイ(Zelia Gattai)の爺さんは、そのコロニア・セシリアの出身ですよ。
【深沢】=ジョルジ・アマードの奥さんが! イタリアで過激な労働組合運動をやってた人がブラジルに逃げてきて、ブラジルでも左翼運動を一生懸命やって、マタラーゾの工場で働いてストライキでばんばんやったりしたという話がありましたが、きっとそのときに、スト破りで日本移民が工場に連れてこられたりとかあったんでしょうね。
【岸和田】=多分それあった。コーヒー農園なんかそうですよね。「イタリア人より日本人の方がよく働くから」って。
【深沢】=日本人は来たばっかりで事情もよく分らないだろうって。きっとあったんでしょうね。
 北米の日本移民の歴史を見てみると、イタリアにとってのブラジルと似ていますよね。明治時代に日本国内で民権運動やってた青年達が、政府から弾圧されて国内にいられなくなって米国西海岸に逃れて、1887年にオークランドでは自由民権派の新聞『新日本』を創刊した。そこで発行して日本に送って、日本で発禁処分されたりした。ああいうのは北米ではあった。
 第一次大戦前の北米の同胞社会の邦字紙で北米の体験的知識を叩きこんだ記者には、のちに日本のメディアで活躍したものも多かったですよね。
 例えばワシントンから外交関係の記事を毎日新聞に寄稿した河上清、大正から昭和にかけて朝日新聞外報部長として国際評論を書いた米田実とか。ロシア革命を成功させたロシア共産党幹部5人に名をつらねた片山潜も亡命中サンフランシスコで邦字紙の釜のメシを食っていたんですよね。そこからレニングラードに直行して革命に参加したと読んだことがあります。
【岸和田】=幸徳秋水だって一時期アメリカにいましたからね。
【深沢】=ああ〜、そうですよね。ブラジルにはほとんど来てないんですよね、そういう人たちってのは。遠すぎたんですかね。同胞社会は一種の〃文化的なガラパゴス島〃のように孤立し、独自の移民史を作っていったんでしょうね。
 イタリア移民にとってのブラジルってのは多分、日本移民にとっての北米に近いものが、それくらい遠いような近いようなっていうね。
【岸和田】=やっぱりヨーロッパとブラジルって近いんですよね。イタリア移民の行き先は、まずアメリカ、2番目がアルゼンチン、3番目がブラジルでしたが、他の欧州移民も南北アメリカを目指した、といえます。
【深沢】=「大西洋を一跨ぎ」って感じで、日本との距離感とは違いますよね。
【岸和田】=日本からいくと飛行機で約24時間。レシーフェ—リスボンの7時間と比較すると3倍以上。やっぱりヨーロッパとアメリカ大陸っていうのは、日本にとっての中国であり東南アジアというイメージだと思いますよ。


■グローボのノベーラを見るアフリカ人

【深沢】=この間、中山さんから「ラテン系アフリカ人」という言葉を初めて聞いたんですよね。あれちょっと説明してもらえますか。ポルトガル人が植民地として始めた国ってのは、ラテン的な何かがそこに植え込まれるんでしょうか。
【岸和田】=まあ、アフリカとブラジルは黒人を通して関係が深いんですよね。アフリカから連れて来られた黒人奴隷の数は、2千万以上ともいわれますが、現在歴史学で定説と言われてるのは、約1千万から1千百万人の人達が、アフリカ大陸から南北アメリカ大陸に連れて行かれた、というもの。
【深沢】=ええ。
【岸和田】=行き先で、一番多かったのはブラジルですよ。40%。400万から450万人。アメリカなんか40万もないですから。
【深沢】=圧倒的にブラジルが多いんですね。植民地時代のブラジル文化を形成する3源流になるわけですよね。
【岸和田】=アフリカでも中央アフリカ(アンゴラ、コンゴ)や西アフリカから連れ出された数が多かった。
 ところで、ブラジルでラテン化した黒人が、逆に奴隷解放の前後数十年間にアフリカに戻ったこともあった。それがブラジル文化を今のナイジェリアとかベニンに植え付けるっていうような歴史もある。
【深沢】=ちょっと日本に定住した在日ブラジル人に似ているかもしれませんね。1888年の奴隷解放後にアフリカに戻った人は結構いるんですか。
【岸和田】=数は多くないですが、定説によれば8千人強です。
【深沢】=そうですか。でもやっぱりアフリカのポルトガル語圏の国々ってのは、ちょっとポルトガルの影響っていうか、その気質みたいなのは。
【岸和田】=特に、アンゴラとブラジルの関係は深い。ブラジルの植民地時代、アンゴラはブラジルのサブ植民地みたいな感じだったんじゃないでしょうか。ポルトガル人がブラジルに派遣されて、そいつが今度アンゴラへいくとか。 
【深沢】=ブラジルのサブ植民地ですか。(つづく)

写真=ブラジルのノベーラを見る家族(モザンビーク首都マプトにて、写真提供=中山雄亮さん)