ニッケイ新聞 2012年4月17日付け
14日でサントスFCが創立100周年を迎えた。14日付伯字紙が報じている。
エスタード、フォーリャの両紙は、サントスの100周年を記念し、前者が16P、後者が9Pの特集記事を組み、チームの100年の歴史を振りかえった。
1912年4月14日。イギリスの豪華客船タイタニック号が沈没する数時間前に、サンパウロ州海岸部のサントス市に新しいサッカー・チームが誕生した。ロザリオ通り(現在のジョアン・ペッソア大通り)18番のパダリアの上の階を拠点とし、シジーノ・パトゥスカが初代オーナーとなった。チーム名は〃コンコルジア〃〃アフリカ〃などの候補もあったが、エドムンド・ジョルジュ・デ・アラウージョ氏の命名で「サントス・フットボール・クラブ(FC)」となった。16年にヴィラ・ベウミロ地区に1万6千平米の土地を購入し、そこに現在までサントスの本拠地となるスタジアム、ウルバーノ・カウデイラを建設した。
そんなサントスが黄金時代を迎えるのは1955年と56年にサンパウロ州選手権を二連覇した頃からだが、それは56年後半に当時まだ15歳の少年ペレが加入したことでより強固なものとなった。ペレは同年9月7日にデビューすると、その年だけで65得点を記録。58年には89得点を記録し、サンパウロ州選手権優勝に貢献しただけに留まらず、スウェーデンでのワールドカップでブラジルを初の世界一に導いた。サントスのチームとしてのピークは1962〜63年に訪れ、リベルタドーレス杯とインターコンチネンタルカップを2年連続で制覇。南米一、世界一のチームとして君臨した。
ペレは1974年の引退までに1091得点を記録し、サントスもその間に53の大会で優勝を記録した。だが、その後は財政難に陥り、後進の育成にも失敗したことで2001年までの28年間でサンパウロ州選手権を2度制しただけに甘んじる低迷期を送っていた。
だが2002年にロビーニョとジエゴという2人の10代プレイヤーを擁して国内リーグを制してからは復調に転じ、現在も〃ペレ以来〃と騒がれ、アイドル的な人気も高いネイマール、そしてガンソを擁し2011年のリベルタドーレス杯を制するなど好調だ。
なお、エスタード紙が選んだサントス100年のベストイレブンはキーパーがジルマル、ディフェンダーがカルロス・アベルト、ラモス・デルガド、マウロ、レオ、ミッドフィルダーがズィトー、メンガルヴィオ、ペレ、フォワードがコウチーニョ、ロビーニョ、ネイマールで監督がルーラと、ペレ在籍時のメンバーが主だ。