ニッケイ新聞 2012年5月26日付け
エスタード紙が23日、1875年から現在至るまでの137年分の資料を掲載した自社ウェブサイトをスタートさせ話題を呼んでいる。
同紙は、自社ウェブサイトwww.estadao.com.br/acervoの開設を知らせる8ページの特集を24日に組んでおり、同日の一面には、前身の「ア・プロヴィデンシア・デ・サンパウロ」の創刊号である1875年1月4日の一面記事を被せた。創刊当時のブラジルは王朝時代で、特集でエスタード紙が使った表現を借りるならば「電気もアスファルトも、パウリスタ大通りもサンパウロ市市長も存在せず、サンパウロ市人口がまだ3万人だった時代」の記事だ。ウェブサイトには、この日から現在まで137年間の記事が載っている。
デジタル化作業は2010年から始められ、技師、デザイナー、ジャーナリスト、歴史家や資料研究家など60人を集結させ、紙、マイクロフィルム、デジタル機器で残されていたものを全てひとつにまとめた。総ページ数は240万ページになり、データ保管に使ったDVDは2千枚に及んだ。同紙は50年代から保管作業に力を入れており、米国の「ニューヨーク・タイムス」をモデルにして1976年に設立された保管所は、学生や研究者にも利用されている。
このウェブサイトでは、キーワードで過去の記事を検索できるのはもちろんのこと、年、月、日の組み合わせで、創刊日から現在に至るまでのあらゆる日の記事が全て閲覧できるシステムとなっている。共和国の成立から、カヌードス戦争、サントス・デュモンの飛行、第二次世界大戦、軍事政権、ワールドカップでの優勝など、ブラジルや世界のあらゆる歴史が読めるようになっている。また記事とは別にこれまで掲載された広告の中から代表的なものを紹介した項目もあり、それらのデザインから時代を感じることも可能だ。
サイトがオープンした翌日の24日は、1日10万のページ閲覧を記録した。一番人気は、軍政の検閲によって公に発行できなかった、1972年9月から75年1月までの未発表の「検閲ページ」だったという。
また、23日夜にはイビラプエラ公園大講堂で記念式典が行われ、アウキミンサンパウロ州知事やカサビサンパウロ市市長などもかけつけた。また、各年代を代表する音楽のショーも行われ、カルメン・ミランダの曲からボサノバ、ロックまでが歌われた。
なお、25日付の同サイトのトップは、リベルタドーレス杯の準決勝で対戦することが24日に決まったサントスとコリンチャンスが、81年前に対戦した1931年1月4日の記事だった。