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国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=第1回=“イタイプーのSWAT(スワット)”=山根一眞が週刊誌で紹介

20本(うち2本は保守管理中)のタービンが並び、今も世界一の発電量を誇るイタイプー発電所

 30年前の1982年、イタイプーダムは静かに貯水湖へ水を湛えはじめた。以来、世界最大の名をほしいままにしてきたブラジルが誇る巨大建造物に、戦後移民の〃8人のサムライ〃が重要な役割を果たしていたことは、『ブラジル日本移民80年史』や『戦後移住の50年』にすら書かれておらず、事実上、南米産業開発青年隊(以下、青年隊)の内部でしか知られていなかった。ところが、有名なノンフィクション作家の山根一眞が『メタルカラー列伝 日本力』(小学館、07年、以下『列伝』)でこの話を紹介し、日本では有名になった。それでいてコロニアでは知られていない状態は良くないと考え、さっそくその時のメンバー、ミナス州都ベロ・オリゾンテでダム建設を中心に土木コンサルタント業を営む青年隊の荒木昭次郎と、ゴイアス州アナポリス在住のダム建設コンサルタントの袋崎雄一に話を聞いた。(敬称略、深沢正雪記者)

 大半がコロノ(農業労働者)として入植した戦前移民に対し、技術をもって生計を立てていった工業移民が多いことが戦後移民の特徴の一つだ。その傾向を象徴するエピソードが、「予定通りに完成することは不可能」といわれた世界最大のイタイプーダム建設に「助っ人」として呼ばれ、当地の土木建設の水準を世界に示した〃8人のサムライ〃ではないだろうか。
 78年4月、イタイプー建設の工期が大幅に遅れているのを打開すべく、鉱山動力大臣が直々に命令を下して緊急体制をとらせた。10月までに完了させるべき工事が5%しか進んでいなかった。緊急体制の中軸を担ったのが青年隊の〝8人のサムライ〟で、画期的な工法を採用して見事に特命を全うした。荒木らは現場では〃SWAT〃(米国の特殊部隊)になぞらえて「イタイプーのSWAT」と呼ばれた。
 この巨大水力発電所建設は、長いことコーヒー輸出頼みの農業国だったブラジルの産業転換をはかり、工業国にするという国家の威信をかけたプロジェクトだった。今も全電力の83%が水力で、うち17%はイタイプーに依存する状態だ。
 『列伝』の荒木紹介部分(103頁)は、こう締めくくられている。〈世界の土木関係者は「あのダムを完成させるのはブラジルには不可能だ」と囁いていたというが、見事工期通りに完成にこぎつけた。「南米産業開発青年隊」の日本人チームの力がなければ、完成は大幅に遅れたはずだった。より正確でより緻密な仕事、現場での工夫や智恵は、あらゆる日本のモノ作りを担う技術者たちに共通している「KAIZEN」も、そういう日本人ならではの文化、国民性がもたらしたものだろう。しかもそれは、世界のどこにいても日本人技術者たちが発揮する能力だということを、完成時に世界最大のダム建設を陰ながら担った荒木昭次郎、袋崎雄一、黒木喜八郎、安摩勉、跡部健司、片岡高一、千田功、杉江勉の「南米産業開発青年隊」たちは証明してみせてくれた。もし、日本人がその能力を失ったら、その力を発揮する場がなくなったら、日本はおしまいだ〉
 これは山根一眞によって大手週刊誌『ポスト』に3週間に渡って連載され、最終的に前述書に収められた。戦前戦後を通して、移民のエピソードがこのように大々的に日本で紹介されること自体が実に稀だ。(つづく)