〃8人のサムライ〃の先陣となった二人がイタイプーの現場に呼ばれたのが78年4月。この時点で工事の進捗状況はわずか5%。それから雨季が始まる10月までに仮排水路を完成させろという不可能に近い特命だった。荒木は当時41歳、袋崎は33歳だった。
「仮排水路」といっても深さ30メートル、幅約300メートルもあり、「仮」とはいえ、これだけでも文句なしに巨大工事だった。アマゾン川ばかりが目立って他が霞んでいるが、パラナ川も世界有数の大河だ。それをダム本体で堰きとめる前に、仮排水路を脇に作って迂回させる工事だ。
もしこの特命が果たせなければ、パラナ川が増水している間は工事全体が中断となり、工期の1年延長は必至だった。
その時の様子は『青年隊四十年史』(97年)にも、「わずか数カ月の短期間にそれを実行するだけの技術が、当時のブラジルにあったのか? 専門家の間では疑問視する向きもあり、世界の建築関係者が注目していた。それだけに国家の名誉にかけても期間内に完成させねばならなかった。ところが現実には、とても間に合いそうもない厳しい条件下に置かれていた」(56頁)と説明されている。
8カ月はかかるといわれた仮排水路工事を6カ月以内で——状況を把握した2人は冷や汗をかいた。とんでもない特命であったが、袋崎の心中には秘策があった。
「あの吊り橋のやり方をダムに応用できないか」とのアイデアを袋崎は出し、荒木に相談した。吊り橋を支える鉄筋コンクリート製の主塔を「スライド型枠工法」で作ったことがあり、それを使うことで日程短縮化が図れるというものだ。
袋崎は「イツンビアラの現場で大体の技術的なめどはついていた。イタイプーではこれを使わないと間に合わないと確信した」と思い出す。
荒木も最初は半信半疑だったが、すぐに図面を引いて計算をくり返した。「我々は、この工法を小さいものでしかやったことがなかった。当時、この工法でダムを作った例は世界でもなかった。僕らが初めてだった」。
コンクリート型枠工法では通常、高さ2・5メートルの型枠を設置してコンクリートを流し込み、固まってから型枠を撤去し、その上方に新しく型枠を設置することを繰り返す。袋崎はその工法を応用して、コンクリートが固まったら型枠を特殊な油圧ジャッキで引上げて、その上にコンクリートを流し込むことを繰り返すことで工事を短縮化できると考えた。理論上では、30メートルの高さでも24時間体制で生コンを流し込んでいけば1週間で終わる。
ただし、複雑な立体曲線を描く巨大構造物を形枠でどう作っていくのかという大きな技術的問題があり、現場での試行錯誤を通して解決していくしかなかった。その一助に特殊な油圧ジャッキをスウェーデンから1500台も取り寄せた。
特別な工法を使うとの噂を聞きつけた米国の建築会社から、共同でやらないかとの申し込みがあったが、「この技術は社外極秘」としてロナンが断った。
未確立の技術で世界最大の巨大建造物を期日までに仕上げる工事を任されたことで、〃サムライ〃たちはとんでもない緊張を覚えたに違いない。
荒木はあまりのストレスから胃潰瘍になり、さらに排便したら真っ黒になっていたことに気付いた。医者に診せたら十二指腸潰瘍だと診断された。ところが入院するヒマはないと「薬を注射してもらって治した」と豪快に笑う。袋崎も工事の最後の最後に倒れてしまい、「4日間ほど立ち上がれなかった」と思い出す。(敬称略、つづく、深沢正雪記者)