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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年6月20日付け

 〃移民の祖〃水野龍は1950年5月にブラジルに戻って以来、サンパウロ市カシンギーに息子と共に住んでいた。三男・龍三郎さんによれば、水野は毎朝必ず7時に仏前に座り、2時間半も念仏を唱えていた。ブラジル移民事業に協力した恩人、笠戸丸などの移民、親類縁者ら何百人もの名前を諳んじ、51年8月14日に92歳で亡くなった▼この逸話を聞き、東郷連合艦隊の参謀だった秋山真之中佐が、日露戦争で亡くなった多くの戦友を弔うために、僧侶になりたいと宗教に強い関心を示して晩年を過ごしていたことを思い出した。Z旗の「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」の文面を作ったのは秋山真之だが、水野龍の「皇国」植民会社は同時代にできた会社であり、明治の同じ熱気を共有していたに違いない▼水野龍が弔おうとした〃戦友〃は移民本人だけでなく、移住事業を影で支えた日本政府関係者や実業家も含まれる。若き日に爆殺計画を図った大隈重信侯への謝罪の気持ちも、その念仏には込められていたに違いない▼51年当時は勝ち負け抗争の生々しい傷跡が残る時期であり、一般社会からの評判は最悪で、二世のコロニア離れが激しかった。そんな世情を愁いた水野龍は移住事業を失敗だったと思い込み、「失意のうちに亡くなった」と龍三郎さんは証言する▼その後、ブラジルは世界有数の親日国になり、百周年で日本移民は大賞賛された。今では移住事業の成功を疑うものはいない。水野龍の墓はサンパウロ市ピニェイロス区のサンパウロ墓地第36区121号(Terreno 121, quadra 36, Cemiterio Sao Paulo)にある。何かの折に線香の一本、あげてもいいのではないか。(深)