ブラジル日本移民104周年
ニッケイ新聞 2012年6月23日付け
1908年(明治41年)6月18日、笠戸丸に乗った最初の日本移民781人がここブラジルのサントス港に上陸して104年の歳月が流れました。
そして、現在ブラジル国における日系社会は150万人を擁する大きな社会を形成するまでになりました。先達の皆様の幾多のご苦労に対し、改めて感謝の念と深甚なる敬意を表したいと思います。
この間、約1世紀余り、日系一世及びその子孫たちは農業分野での目覚しい活躍に始まり、工業、商業、政治、文化、教育等々のあらゆる分野において日本人特有の誠実さと勤勉さと不断の努力によって、ここブラジル社会の発展に大いに寄与し、今やブラジル社会にとってなくてはならない存在として確固たる地位を築き上げております。
ブラジル国の名目GDP(2011年実績)は英国を抜いて世界第6位、車の生産でも世界第6位(2010年実績)の実績を誇り、今や、押しも押されもせぬ経済大国に成長いたしました。
サンパウロ日伯援護協会(援協)は1952年から始まった戦後移住の最盛期を迎えて、サントス港に上陸する移住者たちの上陸後の苦難を改善する目的で、休息と宿泊の場を作りたいとの思いで1959年1月にサントスに「移民の家」が開設されたことに端を発しております。
爾来、今日までの53年間、援協の歴史はブラジル日本移民の歴史とともに歩んでまいりました。今や援協は4つの病院医療施設、7つの福祉介護施設、職員数約1900人を擁する大きな組織に発展いたしました。その間、援協はブラジル政府公認の公益福祉団体として医療、福祉分野で恵まれない方々に手を差し伸べてまいりました。
援協は今後も、創立の理念であります「社会的弱者の救済援護」の精神を忘れることなく、着実に実践し、名実ともに日系社会の中核団体として日系社会のみならず、ブラジル社会にも貢献していく所存であります。
最後になりましたが、開拓先亡者の方々の偉大なる功績は日系社会のみならず、ブラジル社会の中で未来永劫、生き続け、輝きけるものと確信しております。
日本移民104を周年を迎えた今日、今は亡き開拓先亡者の方々の御霊に対し、ここに衷心からの哀悼の誠を捧げ、追悼の言葉といたします。