ニッケイ新聞 2012年7月7日付け
情報公開法の発効に伴い、軍政時代(1964〜85年)に国家情報サービス(SNI)が集めた活動家の写真など、約5千点の閲覧が可能となったと6日付フォーリャ紙が報じた。
SNIは既に消滅、その存在を知る人も少なくなったが、軍政下で拷問を受けたり殺害されたりした人々の行方を探り、人権侵害の実態などを明らかにするための真相究明委員会が正式に発足した今、大半が未公開という写真の閲覧が可能となった意味は大きい。
公開された5千点の中には、反政府活動家で武装闘争に関係するとみなされた人々が下着だけで写る何百点もの写真や、恩赦法制定に賛同する俳優のセルジオ・ブリット氏や女優のレナッタ・ソラー氏らが1979年にパンフレットを配る姿、秘密警察が監視していたエウデル・カマラ神父が司式する宗教行事の様子などが含まれている。
フォーリャ紙は、1975年10月25日に獄中で首を吊ったと公表されたが、真偽の程が疑われていたジャーナリストのヴラディミール・レガル氏の、のどにくっきりと痕の残る遺体の写真なども掲載している。
SNI関係の書類は国の機密書類として保管されてきたが、真相究明委員会始め、軍政下の迫害で家族や知人を失った人などが情報公開を申請する例は多い。
ただ、2日付フォーリャ紙によれば、ジョアン・バチスタ・フィゲイレド大統領(在位1979〜85年)政権下の1981年、SNIは約1万9400点の書類を処分。処分した書類の内容を数行で記した記録はあるが、詳細な情報などは闇に消えたといえる。
また、真相究明委員会が問題視するものの一つは、アラグアイアのゲリラに関するものを含む、陸・海・空3軍が処分した書類だ。最低限の情報も残さないまま上部の承認もなく消滅した書類が大半で、書類の存在さえ隠そうとする軍の姿勢への批判も出ている。
一方、恩赦法により、政治犯として迫害された人々が救済されるだけではなく、迫害した側も保護されるブラジルとは違い、迫害者達の責任追及の姿勢を明らかにしているのがアルゼンチンだ。
5日には、1976年にクーデターを起こし、イサベル・ペロン大統領を失脚させたホルヘ・ラファエル・ヴィデラ元大統領に、少なくとも新生児35人の誘拐に関わった罪で50年の実刑判決が下った。
軍政下の軍や警察関係者が、獄中の女性が産んだ子を養子を希望する兵士らに与えたりした後、その母親を殺害したりしていた事の責任を問われたもので、産科医や獄中で強姦していた海軍大将など、計11人に有罪判決が言い渡された。同国で誕生直後に連れ去られたり親の手から奪い取られたりした幼児の数は、判明しているだけで105人。その総数は500とも推定されている。