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健在なり〝王国〟バストス=卵祭りに20万人来場=500万羽養鶏家先頭に活躍=サンパウロ州の45%を生産

ニッケイ新聞 2012年7月18日付け

 ブラジルで生産される卵の15%を産出する鶏卵王国——ブラジル拓殖組合が創設した町バストス(サンパウロ市から西北に550キロ)では13日から伝統ある「卵祭り」(薮田修実行委員長)が盛大に行われ、人口2万人余りにも関わらず3日間で近隣からの来場者を含め延べ20万人(主催者発表)が押し寄せた。同移住地開植25周年を記念して1953年に開始された農産品評展や卵祭り女王コンテストに端を発したこの祭りも、今年で第53回を数えてますます賑やかになり、来年は移住地創設85周年という節目の年を迎える。

 13日午後2時からの開会式で、アウキミンサンパウロ州知事代理のモニカ・ベルガマシ農務局長は「バストスはブラジル最大の鶏卵生産地であり、伝染病など数々の困難を乗り越えて繁栄してきた模範地区」と賞賛し、農務大臣代理のフランシスコ・ジャルジン補佐官も「かつて食糧輸入国だったブラジルを世界5番目の農業大国にしたのはバストスのような存在のおかげ。この町のリデランサ(先導)に今後も大いに期待する」とエールを送った。
 マウロ・ブラガット州議も「サンパウロ州は亜国より多い人口を抱え、南米ではブラジル自身の次に大きな国内総生産をたたき出す自治体であり、栄養面からその州民の生活を支えている大黒柱がバストスだ」と位置づけた。
 薮田実行委員長(71、二世)は「半世紀以上祭りを続けてこられたのは、先駆者による言い尽くせない苦労の賜物。サッペー小屋に住んで露地飼育していた頃からすれば、空調設備を完備する施設まである現在は隔世の感がある。関係官庁や200人以上のボランティアの協力に感謝したい」と挨拶し、来賓らと会場のテープカットに臨み、婦人会の流麗な盆踊りが先導する後を見て廻った。
 第38回農事研究会を主催した同農村協会の古賀ウェリントン会長(55、二世)によれば、この10年で日系生産者がマット・グロッソ州やゴイアス州に進出して養鶏場を建設する動きが強まっている。「今までは餌のトウモロコシや大豆を産地から持ってきて、卵をあちらに送り返していた。輸送コストを考えると現地で生産したほうが割に合う」と解説する。500万羽養鶏を誇る全伯有数の薮田会長を先頭に、約70日系農家が従事している。
 12日付けグローボ報道によれば、バストス周辺の16地域には鶏が計2千万羽もおり、日産1450万個の卵が全伯市場に供給されている。これはサンパウロ州生産量の45%、全伯の15%に相当する量だ。農村協会専務理事の山中安彦元市長(73、二世)は、「これだけ生産している地域は他にない。しかも全員が日系養鶏家。それが我々の誇り」と胸を張った。
 同地養鶏の元祖は45年頃に始めた故渡部喜助(渡部和夫元サンパウロ州高等裁元判事の父)といわれ、卵祭り会場の名称として残る。32年に入植した最古参の一人、阿部五郎さん(85、二世)は、「53年の農産品評会の入り口として960ダースの卵を使って門が作られ、来場者の度肝をぬき、それ以来〃卵王国〃の名を冠せられた」と歴史を紐解く。当時は500羽養鶏の時代であり、それだけ集めるのは並大抵のことではなかった。水馬(みずま)昭二会長時代(97—98年)に「卵富士」が作られるようになり、この二つが卵祭りのシンボルとなって現在まで続いている。