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『汚れた心』8月公開=アモリン監督に聞く=(上)=勝ち負け描いた異色作

ヴィセンチ・アモリン監督(Foto: Ricardo Picchi / Nada Audiovisual)

 「パンドラの箱」のようにコロニアのタブーが詰まった勝ち負け抗争を、なぜかブラジル人監督が映画化した。その名も『汚れた心』——。映画の冒頭では、現代日本ではほぼ使われなくなった言葉「国賊」が筆書きされ、知る人ぞ知るツッパンの「日の丸事件」をそのまま映像化したようなシーンで始まる。映画の前半は、まるでマリリア周辺のパウリスタ延長線の植民地を舞台にしたようなリアルな情景描写が続く。勝ち負け抗争をなぜブラジル人が映画化したのか。ヴィセンチ・アモリン監督(45)へのインタビューを中心に、この映画の意義を考えてみた(深沢正雪記者)。

 日本の有名ジャーナリストの田原総一朗は、《これほど凄まじい映画は観たことがない。平凡な一人の男が、正義のために次々に殺人を犯す経緯を怖いほどリアルに描いている》、また武蔵大学社会学部のアンジェロ・イシ教授(二世)も《戦争が引き起こす狂気、孤立したカリスマ指揮官の暴走、問われる忠誠、揺らぐアイデンティティ。これはブラジル版『地獄の黙示録』である。この映画を見ないと、日本人の〃戦後〃は終わらない》(同映画公式サイト)というコメントを寄せている。
 映画『汚(けが)れた心』は10年に3カ月間、パウリニア市や東山農場でロケを行った。7月21日の東京・渋谷ユーロスペースを皮切りに、日本国内十数カ所で上映される予定だ。ブラジルでも8月中旬から一般公開される。すでに県連日本祭りで試写会が開かれるなどコロニア向けの先行上映も始まったこの機会に、ヴィセンチ・アモリン監督(45)にメールで製作意図などを取材した。
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 公式サイトの同監督のメッセージには、《この戦争を体験した移民の子孫の方たちの多くが、こう言いました。「この出来事はガイジンでなければ語れない」 これは、この作品を作る上で、肝となる言葉でした》と書いてある。これは、どういう意味なのか。
 勝ち負け抗争が発生した背景には、戦前戦中のヴァルガス独裁政権時代に、敵性国民として日本移民がブラジル官憲から徹底的に抑圧されたことが原因の一つとしてあげられる。
 日系人は戦後、ブラジル官憲に反抗したり、正式な抗議をしておらず、やり場のない不満を日本移民同士で内攻させ、コロニア内の抗争として激化させたことが特徴だ。
 その結果、勝ち組負け組双方の過激派が入り乱れて邦人社会の要人暗殺を謀り、20人前後が死亡し、100人以上が負傷するというブラジル史上に類を見ない少数民族内の抗争劇をくり広げた。不思議なほど、被害者の大半が日本人だった。
 勝ち負け抗争の発端は、46年正月にツッパンで起きた日の丸事件だ。日の丸で靴を拭く場面はブラジル官憲を悪役にしないと成り立たないが、現実の事件では証拠が警察により隠滅されたといわれ、今からは実証しようがない。フィクションの中でしか描けないシーンだ。
 だが、もしそれを日系監督が撮れば、当地右翼の逆鱗に触れて日系人攻撃の材料にされる恐れがある—と当時を知るものは二の足を踏む。
 事実、山崎千津薫監督(二世)の『GAIJIN2』(05年)にも、ブラジル官憲を悪役にするシーンはない。日本から役者を呼び、日本語のセリフ中心という考え方は、今回とよく似ている。だが、その視線はどこか内向きで日系人的な配慮にあふれていた。
 おそらくあの時代に関する公式な場での官憲批判は、現在の日系二世インテリ層においてすらタブーなのだろう。(つづく)