アモリン監督がこのような広い視点をもっているのは、父セルソ・アモリンが元外務大臣にして、現国防大臣という血筋も関係する。親が外交官だったため、同監督はオーストリアで生まれ、諸外国を点々として成長する中で、マイノリティ(少数民族)としての国際人的視点を養ったようだ。
次回作は「アイデンティティと社会適応」を題材に撮ろうと考えていた時に同抗争のことを知り、これなら世界に通低する問題—社会宗教的な不寛容、人種差別、原理主義—への問いかけを背景とする作品にできると閃いたという。
だからこそ、同監督は「それゆえに時代を超えて、世界の国々にとって重要な教訓を孕んでいる」と説明した。中東における原理主義や宗教対立の問題、欧米社会に深く根を張る人種差別などの世界的な課題を、日本移民の歴史を通してブラジル映画として描こうとする試みがこの作品だ。
「勝ち負け抗争をテーマにした映画は日本で作られても良かった」との声を聞くが、ナショナリズム的なテーマを描くことは戦後民主主義が幅を利かす日本においてはタブー的であり、当地の移民史を調べに来る歴史家すらいない関心希薄な現状では無理だろう。日系人にはタブー、日本人は関心なし、その間隙を衝いたのがアモリン監督といえる。この作品により、日本国内における移民への歴史認識が高まることに期待できないだろうか。
この映画はあえて日本公開を先にした。7月18日に東京で行われた映画公開記念イベントで、主演の伊原剛志は、役作りのために移民史を猛勉強したと打ち明け、「遠くにあればあるほど、祖国を思う気持ちは強くなるんだと実感した」と分かり、全編ブラジル・ロケだったので、「僕ら日本人キャストが一致団結し、みんなで戦った」と舞台で挨拶したと「映画.com ニュース」は報じた。
義務教育の場での国旗掲揚が〃問題〃にされる日本で、冒頭の日の丸事件がどう解釈されるのか、興味深い。
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実は、アモリン監督は昨年の東日本大震災時に、この映画の打ち合わせのために東京にいた。
その時の様子を尋ねると「あれだけの大災害にも関わらず、あんなに沈着冷静に行動していた日本国民に深く感動しました。大震災、津波、メルトダウンと、どんどん悲劇的な事実が報道され、まるで悪夢のように混沌とした現実の中、日本国民は努めて冷静であろうとしたことに、心底感銘を受けた」と返答した。
その時が初訪日だったというので、04年頃から企画を温めて数年がかりで脚本を練り、撮影をした時には、日本未体験だった訳だ。この6月に日本封切りの宣伝などのために2度目の訪日をし、「すっかり日本文化と日本国民に魅了された。日本の文化と民族の形成はブラジル人とまったく違っている。お互いに惹きあい、扶助できる関係があると感じた」という。
日系人が忘れ去ろうとしていた〃暗黒時代〃の記憶が、ブラジルの歴史として解釈し直され、祖国日本に逆輸入されて「日本人とは何か」を問いかけている——この映画の成り立ち自体が、独自の歴史を持つ日伯間ならではの、興味深い遠隔地ナショナリズム的現象といえそうだ。(終わり、深沢正雪記者)