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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年8月4日付け

 あの原爆のきのこ雲から67年。エノラ・ゲイ号から投下されたリトル・ボーイの威力は凄まじいばかりであり、広島市民35万人のうち14万人を殺した。爆心地を通行していた市電は炎上し、遺体を乗せたまま走り続け、あの強烈な熱線を受け吊革を握ったままー思いもよらぬ哀れな死を迎えた人もいた。運転台の速度制御機をしっかり掴んだまま死に追いやられた女性運転手もだし、この原爆の恐ろしさは今も語られ、核兵器の廃止が広く世界に訴えられている▼この悪魔の爆弾はアメリカのマンハッタン計画によって開発されたが、ルーズベルト大統領と英のチャーチル首相が会談し、日本への投下を決定した。これが1944年9月であり、翌年の45年4月になると軍事作戦会議が開かれ「ヒロシマ」が攻撃目的地になったとされる。最終的な決断は、ル大統領が死去したために副大統領から昇格したトルーマン大統領によってなされたが、戦争の兵士ではなく、一般市民を攻撃対象としたの批判は67年後のただ今も続く▼この原爆投下の成功を祝いエノラ・ゲイ号のティベッツ機長らはテニアン島の基地で盛大なパーティを開き、長崎への原爆投下へと繋がる。戦争というものは、なんとも無残なものだし、平穏な暮らしの中での想像を越える奇っ怪至極な事態が起こりうる。「ヒロシマ」や「ナガサキ」の悲劇も、あの大東亜戦争という悪しき夢が産み落とした大きな傷跡と受けとめたい。被爆者の心の痛みはよくわかるし、二度とこのような悲惨が起こらないようにと祈りたい。8月6日は広島、9日は長崎の原爆記念日。(遯)