オクタヴィオ生誕100年=フォーリャ紙の隆盛築く
ニッケイ新聞 2012年8月7日付け
フォーリャ紙をブラジルで最大の新聞に押し上げたジャーナリストで実業家のオクタヴィオ・フリアス・デ・オリヴェイラが、5日で生誕100周年(2007年没)を迎えた。5日付フォーリャ紙が報じている。
1912年リオデジャネイロ生まれのオクタヴィオは18年、父親が繊維工場主のジョルジュ・ストリートが興した企業村の村長に選ばれたことでサンパウロ市に転居。だが23年、工場が負債を抱えて売却されて父が失職したため、14歳で学校を中退し、会社事務員として働きはじめる。20歳だった32年には護憲革命にも参戦した。
その後はサンパウロ州財務局理事を経、36歳でブラジル不動産銀行(BNI)を共同設立、7年間理事をつとめた。61年にカルロス・カルデイラ・フィーリョとサンパウロ市ルスのターミナル駅経営に参画し、50歳の誕生日から約1週間後の62年8月13日、カルデイラと共にジョゼ・ナバンチーノ・ラモスからフォーリャ紙を買収した。
フォーリャ紙は当初軍政を支持していたが、軍政が民意の解放をはじめた74年に路線を転換。83年の大統領直接選挙「ジレッタス・ジャー」のキャンペーン率先後、86年にはブラジル一の部数を誇る新聞となった。
オクタヴィオは92年に経営拡大路線を巡り、カルデイラとの関係を解消。96年にインターネット会社UOL、99年に姉妹紙「アゴラ」をたちあげるなど、積極的にグループを拡大した。2007年に94歳で亡くなったが、彼の名前はサンパウロ市最大の斜張橋の名前にもなっている。
5日付の特別記事を書いたアウド・ペレイラ氏は、オクタヴィオは「経済や運営を学校で学んだ訳でもないのに、組織の作り方や牽引力、部下の能力を見極める力があった」と語っている。