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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年8月18日付け

 あの昭和20年8月15日は暑い日だった。正午に昭和天皇の玉音放送があり、日本の隅々にまで嗚咽が満ち、苦しい戦いがやっと幕を下ろしたの思いが胸の底に渦巻きもした。敗戦への悔しさと平和の喜びがない混ぜになる複雑な心境のままに一日は早々と過ぎ去っていく。あの悲惨な戦争で陸海軍の兵士らが230万人、市民たちは80万人もが死に追いやられた▼あれから67年—。広島と長崎は「黒い雨」が今に語られ核兵器の廃棄を世界の人々に訴えている。だが—昭和20年3月10日にあった「東京大空襲」の苦しみは、あまり話題にならない。米軍はB—29爆撃機325機を出動させ焼夷弾を投下し東京を焼け野原にしたが、この攻撃で都民は10万人超が死亡し、負傷が4万人を超え被災者は100万人と記録的な被害を受けた▼同じような空襲は4月と5月にもあり、皇居の建物も類焼し犠牲となった著名人も多い。こうした戦没者の霊を慰めるために「全国戦没者追悼式」が今年も15日に東京・日本武道館で開かれ天皇、皇后両陛下や首相らも出席し平和を祈った。98歳の島倉フミさんは、50万人の兵が散華したフィリピンで戦死した夫の弔いに参列した遺族だが、こんな遺族も年と共に減っている▼この追悼式に先立ち両陛下は東京の富岡八幡宮を訪ね「東京大空襲」から避難し神社の堀に飛び込み助かった石井清子さん(80)から当時の話を聞いてもいる。大空襲のあと昭和天皇が視察したのが富岡神宮であるのを知っての訪問だが、この両陛下の心配りがなんとも嬉しく胸を打つではないか。(遯)