ニッケイ新聞 2012年8月25日付け
日本の男子は金メダルを一個も獲得できなかった事は、本家として真剣に将来の日本の柔道あり方を考え直すべき時期に来ている。金メダルの獲得が女子の一個であった事で、日本の柔道が凋落期に入ったとは思われないが、世界の柔道界は他のスポーツ以上に、普及のスピードを速め、技も、力も、強力なダイナミズムで躍動し続けており、日本で考えている以上に進んでいる事を、日本では充分理解されているのであろうか。
今オリンピックの柔道競技の運営は、今まで以上に選手に技術の向上を強いただけでなく、審判規定もジュリー制度と言う、常時試合場の審判とは別の視点からビデオや、本部の視覚から試合を判定する方式を導入した。
試合場の国際審判員は、夫々、各国の一流の審判員から選出された審判のみが審判に携わっていたが、その主審と副審の3人の判定が、判定後、完全にくつがえされて、逆の勝敗を確定したりする事が度々あった。考えられない審判としか言いようがない。本家の日本の柔道界では、こうした判定方法を、充分納得して国際柔道連盟の改革を承認したのだろうか。
審判員の権威を無視する事、甚だしいだけでなく、過去の柔道における、厳しい勝負の歴史にはなかったことが、ある日突然世界中に披瀝され、公式化されたのだと言えよう。人間の目から、機械への信頼性に頼る事に移行する大変革であり、他のスポーツにはあるが、こうした審判制度が今後このまま続けられるのだろうか。
ブラジルの女子選手ラファエラ・シルバは、リオの麻薬の巣窟とまで言われる貧民窟から必死に抜け出て、厳しい稽古に耐え、ランキング制と言う国際大会での実績も積み重ね、金メダルも不可能でない準備を終え、試合に臨んだ。
彼女の試合は積極的な攻勢で、相手を圧倒し続け、肩車で見事に相手を引っくり返し、技ありを奪い、寝技に引き込み抑え込んだ。その時点で審判員ジュリーから、突然ラファエラの反則が伝えられ、試合は急転直下、逆転して負けが宣せられた。テレビで見ている限り、我々でも何が反則なのか全く分からなかった。泣き崩れるラファエラは絶対に信じられないと、どうしても試合場を出ようとはしなかった。当然の事だと思う。
国際審判員の中にもまだまだ何が技で、何が反則か自らの試合の経験を通じた判断経験の不足する審判がいることも確かだ。
前回のリオの世界選手権でも決勝で日本の選手が不明瞭な判定で負けている。世界柔道連盟副会長にこの問題の大きさを指摘し、絶対改正すべきと強く伝えたが、今回のオリンピックの場でも依然繰り返されている。正に腹切りものだと言うブラジル柔道家がいるほどの失態である。
ブラジルの柔道関係のTwitterでも誰もが嘆き、解決されないまま、我慢を強いられる実態を見ていると、自らの無力を恥じること、この上ない。
世界中は、現在4年に一度行われるオリンピックを、自国で開催する事がその国の国力を象徴する指標であるとして、政治を巻き込み、膨大な予算を割いて選挙運動を展開し、開催できるよう働きかけている。それだけでなくメダルを何個取るかが先進国の順位を決める重要な基準とばかりに、どこの国もメダル競争にエネルギーを注ぎ込んでいる。
平和といえば、平和な競争ではあるが、本来のオリンピックの目指したものは、メダル競争ではない筈だ。近代オリンピックの父クーベルタン伯爵が唱えたのは、「スポーツを通じて心身を向上させ、さらには文化、国籍などの様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアープレイの精神を持って理解しあう事で、平和でよりよい世界の実現に貢献する」にあったのである。(つづく)
写真=イビラプエラにある「南米の講道館」で熱心に練習に励む〃未来のメダリスト〃たち