ニッケイ新聞 2012年8月28日付け
クーベルタンは手記に、古代オリンピックがヘレニズム(ギリシャ精神)文化圏の宗教行事であった祭典を、さらに広げ国際的なスポーツの祭典とし、ヨーロッパ文化が、アジアの洗練された文化、芸術と交じり合う事の大切さを記している。その糸口として彼はIOC会長として日本の文化を求めていたとも言われ、スポーツによる教育改革に熱心な人物、嘉納治五郎を仲間に入れるべく求めていたと言われる。嘉納師範は青少年の教育のために、自らが作った柔道を世界各地に紹介し、IOC委員として29年にも亘り、柔道をオリンピックに導入するために奔走した。東京でオリンピックを開催すべく努力していたのだ。1938年に念願の東京誘致が成功した岐路、船中で70代半ばで他界するが、嘉納師範は、これが実現しなければ、更に大きな世界的大会を、日本で開催すると言う信念までもって、IOC総会に臨み、ヨーロッパ諸国には宣言していたようである。
嘉納治五郎はオリンピック精神と武道精神との融和と言う教育家、柔道家としての理想を目指していた。日本には異文化を積極的に受け入れ、新たな文化を創造するΓ和」の考えがあり、オリンピックを多文化時代における世界共通の文化として融合させる為に、その柔道の貴重な文化を今後も世界に伝え続ける事が大切と考えていた。
日本の柔道界は、柔道の専門家集団であってはならないのではないか。実業や、芸術、広い人間生活に必要な文化をもつ人達が、日本の柔道界に参加し、斬新な思想をもって、国際的なコムニケーションの出来る若いリーダーを輩出させる時期なのではないか。
単なる技や型の指導だけでなく、次代を担う青少年達が夢を持ち続けるための教育をどうするか語れる人材に、今後の選手の育成を任せねばならないのではないか。国際柔道連盟での参加、日本人の発言は不可欠だし、世界中で期待している筈だ。
武道の一つとして、柔道は競技で実力を競う極めて合理的で、世界のどこでも通用する文化として、明治の時代に嘉納治五郎師範は創造した。今まで日本の柔道界は、丁寧に世界に普及すべく努力してきた事は確かである。
国連加盟国よりも多いい200カ国で柔道は愛され、更に誕生する新興国でも強制される事なく受けいれられて行くと思われる。競技である以上、勝負には勝つ訓練や工夫は今後も不可欠であるが、技の種類も、審判の規則も様々に検討され、広がりと同時に、世界の変化と共に今後も変化するであろう。
メダルを取る為には、日本は力の柔道でなく、新しい技の開発も必要だし、外国人が得意としない締め技や、関節技を明治時代の高専柔道、四高、六高の柔道に求め、究極の技を密か作り出し、5秒か10秒で寝技で制する事に総力を結集する方法も考えられる(最近の規則では数秒間、攻撃しないと直ぐ指導、注意になるので)。送り襟締めや脇固めで一本で、地方から東京に出てきて力を示した柔道家の技を掘り起こす事も必要かもしれない。
しかしそれ以上に日本の柔道界が世界から期待されるのは、世界柔道連盟の中に入って、これからの柔道を語り、広がる柔道の中で柔道をどう普及させてゆくか、もう一度考える支援を世界の柔道界にする事が必要であり、全ての国々が、それを次世代の青少年に伝えるかがより大きな任務のように思われる。
ブラジル柔道連盟には、日本の血を受け継いだ日本移民と、150万人の二世、三世、・・・七世が加盟する。ブラジルは、日本と共にその任務と役割を果たすべく、その実力と、覚悟が備わってきているのではないか思う。我々ブラジル講道館柔道有段者会は、日本とブラジルを軸にした新しい柔道のあり方を考え、幼少年少女の教育の現場にそれを活用し、ブラジルの将来を担う人材育成に寄与することの意義を感じている。 (終わり)
写真=2006年24日に行われた「南米の講道館」のイナウグラソンで、「柔道の父」嘉納治五郎の写真を背に「ここは南米柔道界の模範となるだろう」と賞賛したサンパウロ州スポーツ局のラルス・グラエル局長(左、当時)