ニッケイ新聞 2012年9月20日付け
月に一度は首都ブラジリアを訪れ、ジウマ大統領のヘアメイク(調髪と化粧)を担当するトップ・スタイリスト、セルソ・カムラさん(53)は日系三世だ。〃移民のふるさと〃ノロエステ線リンスで沖縄県出身の祖母と伯母に育てられたが、日系社会との付き合いは皆無。「日本食も日本文化も大嫌いだった。でも初めて日本に行った時、この国に自分の原点があると思った」と明かす。本紙の取材に対し、サロンで自らの生い立ちを語った。
生まれはパラナ州ベラ・ヴィスタ・ド・パライゾ。「1歳で父が亡くなり、母の出身地リンスに移った。母はサンパウロに働きに出たから、会えたのは年に1度だけ」で祖母らに育てられた。母はリベルダーデ区コンセリェイロ・フルタード街の日本食レストランに勤務していたという。
5人兄姉の末っ子として可愛がられたが、祖母も伯母も厳格で教育熱心であり、セルソさんは小中学校をトップの成績で卒業した。日本語や日本文化を強要されなかったのは、「多分、大戦の時、日本語が禁止されたからだと思う」と振返る。それでも兄姉のうち二人は日本語を話すという。
10歳で出聖し、14〜5歳の時、学校に通いながら会計事務所で働いた。この頃すでに美容に関心を持ち、姉2人にメイクを施していた。そんなセルソさんを見た友人の美容師に誘われ、テストを受けた所、『これこそが私の世界』と実感。独学で技術を磨き、間もなく美容師としても頭角を現し、17歳の時に独立して店を開いた。
セルソさんは、当時の日系社会には少なかった同性愛者でもある。「生まれた時から人と違っていた。友達も女の子ばかり」と明かす。「偏見はあらゆる場所で感じていた。『ビッシャ・ジャポネース』なんていわれたり、兄姉にも偏見の目で見られたりしたけど、それで落ち込んだことはない。むしろ、ゲイだからこそ人一倍頑張った」と偏見をバネにしてきたことを強調する。
天性と努力に加え、勤勉、プロ意識、完璧主義、忍耐や前衛的試み(アヴァンギャルド)——を無意識に模索しているうちに、いつのまにか当地美容業界のトップといわれる存在になっていた。
「実はそれが〃日本的精神〃だったと気づいたのは1992年に、仕事で初訪日した時のことだった」としみじみ胸中を明かす。最初に東京に降り立った時、「言葉も話せないし何も分からない。怖くてしょうがなかった」が、やがて日本国民が教育と知性ある人々であること、その中に「自分の人格の原点がある」ことを見出した。
「今は自分が日系人であることが誇り」と凛とした表情で語り、「この分野で仕事をし、人を幸せにするのが、何よりも幸せ」と笑顔を見せた。サンパウロ市ジャルジン・パウリスタ区に構えるサロン「C・Kamura」には、グローボ局の人気アナウンサーのパトリシア・ポエッタ、芸能人アンジェリカなど多くの有名女優や歌手、政治家が足を運んでいる。