ニッケイ新聞 2012年10月2日付け
ブラジルの女性司会者の草分けで、現在までテレビ業界の重鎮として君臨してきたエビ・カマルゴが9月29日午前、サンパウロ市西部モルンビーの自宅で腹膜癌に伴う心停止のために83歳で亡くなった。
鮮やかな金髪に豪快な笑い、そして熱烈なキス。何世代にも渡ってブラジルの茶の間の顔でありつづけたエビは1929年3月8日、サンパウロ州タウバテで生まれた。父親がバイオリン奏者だったこともあり、幼い頃から音楽を志したエビは17歳で歌手デビューし、人気コメディアンのマッサロピとラジオ番組で共演し、注目を浴びた。
1950年にサンパウロ市でのテレビ放送を始めたトゥピ局の番組にも参加していたエビは、55年にブラジル初の女性番組「オ・ムンド・エ・ダス・ムリェーレス」にブラジル初の女性司会者として招かれた。52年に米国旅行から帰国してから染めた金髪が茶の間に知れ渡ったのもその頃だ。
66年には、自身の名を冠したトーク番組「エビ・カマルゴ」をレコルジ局で開始。79年にはバンデイランテス局に移り「エビ」をスタートさせたが、85年に、ブラジルを代表する男性テレビ司会者、シルヴィオ・サントスに請われ、SBT局に移籍して同番組を継続すると、以後25年にわたり同局の顔として知られるようになる。
同一番組の司会を同じ女性が30年以上にわたってつとめる例は日本の黒柳徹子など例が少ないため、番組の長期化でエビの年齢が重なれば重なるほど注目度は上がっていった。エビの番組のゲストはブラジル芸能界の大物やサッカー選手、政治家にかぎらず、ハリウッドの有名俳優らが訪れることも珍しくなく、多くの著名人が老若男女問わず、エビ恒例の口を合わせてのキスを交した。
2010年に腹膜癌の診断を受けたが、エビは闘病をしながら、同年末に移籍したレッジTV局で番組を継続。死の2日前の9月27日には古巣のSBTが再契約を申し出たばかりだった。
エビの遺体は29日のうちにサンパウロ州政庁であるバンデイランテス宮に運ばれ、そこで行なわれた通夜にはシルヴィオ・サントスや歌手のロベルト・カルロスといったエビの親友がかけつけ、涙で別れを惜しんだ。
30日朝行われた出棺前のミサは「アガペー」の著者としても知られるマルセロ・ロッシ神父が司式。国旗と州旗で覆われた棺は消防車両でモルンビーのゲッセマニ霊園まで運ばれ、多くのファンが沿道で見送った。埋葬には約600人が参列して行なわれた。
メディアの反応も大きく、フォーリャ紙は特別誌面を組み、エスタード紙も「その後多くの女性司会者が生まれたが、誰もエビにはかなわなかった」との賛辞を送っている。