ニッケイ新聞 2012年10月2日付け
今年の9月29日、フェルナンド・コーロル氏がブラジル史上初の大統領弾劾の判決を受けて20年が経ったのを受け、同日付伯字紙がそれぞれの視点から、この裁判を振り返っている。
エスタード紙は、コーロル大統領弾劾決定の最後の票を「ミナス・ジェライス代表の威厳として〃SIM(賛成)〃を投じます」とマイクで叫んで投じたパウロ・ロマーノ(当時・自由戦線党・PFL)の回想証言を交えながら、改めて、元大統領が弾劾に至るまでの軌跡を追った。
弾劾のきっかけは92年5月、元大統領の実弟のペドロ氏が「ヴェージャ」誌に、元大統領の右腕であったPCファリアス氏が政府への支持と引き換えに企業から賄賂を受取っていたと暴露したことで、この時、議会調査委員会(CPI)の開設を求めたのが、当時連邦下議だったジョゼ・ジルセウ氏(労働者党・PT)だった。
同紙はその点を取り上げ、「政府の支持をとりつけるための収賄を弾劾しようとした人物が、20年後の今、メンサロン事件の主犯として裁きを受けている」と指摘している。
またフォーリャ紙では、コーロル氏に対する告発証言を行なったエリベルト・フランサ氏(47)の20年後の姿を伝えた。エリベルト氏は大統領秘書だったアナ・アシオリ氏の元付き人で、ロザーネ元大統領夫人が使っていた車は「自分が小切手で支払った」と暴露したことがファリアス氏にまつわる金の流れの証拠となり、大統領弾劾の決め手ともなった。
エリベルト氏は、雑誌編集者や運輸省、ブラジリアの公共放送局の仕事などを経た後、1年半ほど無職状態で、義父に家賃を払ってもらい、妻と2人の子供と暮らしている。また、もう1人の告発者のクラウジオ・ヴィレイラ氏は2千万レアルの借金を背負っている。エリベルト氏は「自分の威厳は救われるべきだ」と主張しているという。