ニッケイ新聞 2012年10月3日付け
邦字紙が今まで営々とやってきたことは、海を越えた移民本人に体験談を聞き、その生き様を後世に残すとりくみだった。それは、移住事業の結果として現われた「移民」という存在にこだわりすぎ、移住事業自体には迫れなかったきらいがある。
たとえば大会社が倒産した時、たくさんの末端社員に取材して倒産した原因を類推するのに等しい。社風や個人の歴史は詳しく分かっても、どんな創立者が何を目的として、どう創立した会社で、なぜ倒産したのかに関しては隔靴掻痒としたものが残る。
移住事業というレールを敷いたのは、国家レベルで影響力を持った実業家、政治家に違いない。彼らによって日本で企画され、資金集めが行われ、実行されてきた。移民事業がどう発想され、どう事業化されてきたかは日本側でないと調べられないものだ。
ところが終戦という大鉈が振られ、GHQ占領となった時、移住を管轄していた拓務省は一切の資料を始末してしまったと聞く。ブラジルで1888年に奴隷解放令が出たとき、時の大臣が奴隷に関する資料を全て焼却させたのに似ている。また日本の研究者も移住というテーマをタブー扱いにし、長い間、触れようとしなかった部分もある。
ところがこの『実業家とブラジル移住』(渋沢栄一記念財団研究部編、8月20日刊行、不二出版)は、移住事業はどんな人によって、どう発想されたかを真正面から明らかにしようとしている。
第1部で扱われているのは、東山農場を作った岩崎久彌、〃日本の資本主義〃の父にして伯剌西爾拓殖会社の創立やイグアッペ植民地設営に深く関わった渋谷栄一、アマゾン移民を始めた武藤山治、日伯経済交流を拡大した平生釟八郎(ひらお・はちさぶろう)らがいかに移住と関わったかについての論文が並ぶ。
第2部は「移民農業と金融」「大坂商船の積極経営と南米航路」「米国と日伯関係」で移民事業を支えたインフラ、移住の背景にある米国との関係についての論文などだ。
この本は、渋沢栄一記念財団研究部が編者となり、7大学教授の論文を集めた共著だ。同研究部には永井美穂学芸員がおり、彼女が2000年頃にJICA青年ボランティアとしてサンパウロ市の日本移民史料館に派遣され、レジストロ移民史料館開設に当って懸命に展示の企画立案をしていたことを憶えている関係者も多い。
もちろんこの一冊で、ブラジル移殖民事業の日本側の全容が分かるものではないが、前述した斬新な視点でこれからの端緒を指し示した意義は大きい。イグアッペ植民地、桂植民地に始まるレジストロ入植百周年を来年に控え、このような画期的な著作が日本で刊行されたことは、まことに時宜を得たものだといえる。日系社会や移民の研究者には必読書に違いない。(深)