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メンサロン事件=ジルセウ被告に有罪判決=かつては〃正義の闘士〃も=他の主犯2人も有罪に=ルーラは裁判日程に不満も

ニッケイ新聞 2012年10月11日付け

 メンサロン事件の主犯とされていたジョゼ・ジルセウ被告(労働者党・PT)に9日、有罪判決が下った。かつての学生運動の闘士でルーラ政権の官房長官にまで登りつめた人物に、ブラジル史上最大の汚職事件公判で鉄槌が振り下ろされたことになる。10日付伯字紙が報じている。

 9日の最高裁はメンサロン事件で贈賄罪に問われている10人の被告に関する審理を継続し、指揮者とされるジルセウ被告と政党要人との交渉役とされるPT元党首ジョゼ・ジェノイノ被告、交渉後に領収書を切り側近に5500万レアルを引き落とさせたとされるPT元会計デルビオ・ソアレス被告を含む、8人の有罪が確定した。
 9日までに票を投じた判事は8人で、ジョアキン・バルボーザ判事ら6人は「メンサロン事件は第1次ルーラ政権(2003〜06年)への支持を下院で取り付けるためにPTが仕組んだ」という説を有力視し、ジルセウ被告の贈賄容疑についても、過半数以上となる6票の有罪票を投じた。これに対し、同事件は選挙の裏金工作との説をとるリカルド・レワンドウスキー報告官とジアス・トフォリ判事は「証拠不十分」で無罪とした。
 また、ジェノイノ被告に対してはレワンドウスキー判事以外の7人が、デルビオ被告に対しては8人全員が有罪とした。
 今回のジルセウ氏の裁判は、ブラジル史上最大の政治汚職裁判であることに加え、同氏の歩んだ人生とブラジル史との絶妙な絡みでも注目されている。
 ジルセウ氏は大学在学中の60年代後半に学生運動のリーダーとなり、軍政から国籍剥奪処分を受け70年にキューバに亡命。75年にパラナ州に戻って顔を整形し、身分を偽って生活した後、79年に恩赦法で処分が解かれ、80年にPT結党に参加。86年に下院議員となり、92年にはフェルナンド・コーロル大統領の弾劾裁判のための議会調査委員会(CPI)の創設を求めるリーダー格にもなった。
 94年にサンパウロ州知事選に立候補して落選(3位)したものの、95年にはPT党首となり、02年の大統領選挙でルーラ氏が勝利すると官房長官に就任、実質上のナンバー2として君臨していた。だが、05年6月、ブラジル労働党(PTB)のロベルト・ジェフェルソン元党首にメンサロン事件の主犯として名指しされたのを受け、官房長官を辞任した。なお、その後任のジウマ氏は、現在のブラジル大統領だ。
 判決後、ジルセウ氏は書面で、今回の最高裁判決を「マスコミにせかされて出した判決」と批判した。さらに「カルドーゾ大統領の再選時に票を買った疑惑はお咎めなしなのか」とも記し、「私の人生は民主主義のための戦いだ。今後も無罪を証明するために戦う」と綴った。同被告には、犯罪組織形成に関する裁判も残っている。
 ルーラ前大統領は1日のジウマ大統領との会談で「今回の裁判日程は市長選でPTに攻撃を与えるように組まれた」と不満を示し、ジウマ大統領もこれに賛同していた。