ニッケイ新聞 2012年10月18日付け
数年前、ポルトガルの歴史サイトを見ていて「1543年にポルトガル人が日本を〃発見〃した」との記述を見つけた時は驚いた。嵐のために命からがら種子島に漂着したポルトガル商人を日本人が助けたのに、そう記述するとは大した欧州中心主義根性だと呆れた▼1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見してから〃新世界〃への冒険航海が盛んになり、1494年にトルデジリャス条約が結ばれ、6年後にブラジルが発見された。さらに1522年にマゼランが一周したことから「地球は丸い」ことが証明され、もう一本線を引かないと球体は分割できないので、サラゴサ条約(1529年)となった。しかし接触が開始してもポルトガルは日本に対して領土要求は行わなかった。当然だ▼でも米国の外交は強硬だった。黒船は大砲で不平等条約を迫り、それを呑まざるを得なかった。初めて西洋文明のシステムに日本は組み込まれた。平和な鎖国の間に生まれた圧倒的な武力の差がそうさせた▼西洋文明に対する屈辱感を覆すための闘いが明治維新であり、懸命に西洋をまねた結果が「遅れてきた帝国主義」として現われ、軍国主義になっていった—との西谷教授の話は実に興味深かった▼日本人が1596年に亜国で「自分は奴隷じゃない」との裁判を起こしたという連載を以前書いた。米国がインディアンだらけだった1590年の時点で、日本人は南米大陸に上陸しており、グローバル化の最先端にいた▼もし日本が鎖国していなかったら…。ペリーに無理やり開国させられることもなく、英仏同様に戦争が合法的な時代に海外領土を取得していたかもしれない—等と夢想した。(深)