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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年10月19日付け

 この22日は「コンテスタードの乱」勃発から100周年だ。サンタカタリーナ州内陸部を舞台に1912年から4年間、カリスマ僧ジョゼ・マリアを指導者とする反乱軍と連邦政府軍が闘い、1万人以上の死者が出た。同僧が理想としたのは王室復古だったから、体制変革を狙う「革命」ともいえる▼南大河州ではもっと〃盛大〃だった。1835〜45年にファロウピーリャ革命(ファラッポス戦争)が起き、リオ・グランデ共和国を名乗った4万人の独立派と、6万連邦軍が激突した。1822年に独立宣言したばかりのブラジルにとって、最初の大きな試練だった。いわば薩長中心の明治政府に反旗を翻した他藩の武士階級による秋月の乱、神風連の乱のような印象だ▼バイーア州奥地で起きた「カヌードスの乱」(1896—97年)は文学作品にも昇華されるなど有名だ。カリスマ指導者の僧侶アントニオ・コンセリェイロが率いた反乱軍2万5千人に対し、連邦軍は1万2千人で2万人以上が死傷した血腥い内乱だった▼笠戸丸が到着した1908年は、そんな不安定な時代だった。連邦政府は広大な領土をどう統治していいか分からず、暗中模索の最中だった▼戦後の勝ち負け抗争を記述した文章では、「20人余りが死んだ」と如何にも多い感じで書かれることが多いが、数々の内乱を鎮圧してきた政府にとっては実は大したことはなかった▼例えば軍警対PCCの抗争では今年だけで警官80人以上が死んだ。勝ち負け抗争がブラジル史に残る逸話になったのは、死傷者数の問題ではなく、コムニダーデ内で抗争を繰り広げたという日本人らしい異質さ故なのだとつくづく思う。(深)