ニッケイ新聞 2012年10月25日付け
相撲連盟役員と雑談していて「元々相撲は勝ち組のスポーツだった」と聞き、目からウロコの気分を味わった。相撲は日本の国技であり、終戦直後の勝ち組にとって神聖なものだった。勝ち組青年が中心になった全伯青年連盟の隆盛は、まさに相撲の歴史と比例する▼第1回全伯大会が1947年に始まり、最盛期ともいえる第4回大会がプレジデンテ・プルデンテで開かれた。その時の逸話が『ブラジル相撲史』に書かれている。「神聖なる国技の場所に不純があってはと言う、神聖感と責任上、会場の入り口には筆力もいかめしく二枚の五分板に、敗戦思想者入場を禁ず、他は亡国論者入場を禁ず、云々と正面に勧告し、会場に汚辱のないように務めたものである」(同56頁)▼第8回大会まで行われ、勝ち負けの思想問題から全伯青年連盟の活動が停止し、大会も中止になった。桜組挺身隊事件が起きた1955年が最後の大会の年だ。まさに一連の活動の終焉に重なる▼その後、相撲を思想から切り離して独立させたのが現在の全伯相撲連盟だ。桜組の本拠はサントアンドレーだったが、サンパウロ市サントアマーロ区のシッポーもニセ宮事件の舞台としてコロニアを賑わした▼陸上、剣道、柔道なども「勝ち組」系競技といわれるが、柔道はブラジルを代表する五輪競技に育ち、相撲もサントアマーロ出身の魁聖が昨年5月の技量審査場所で新入幕したばかりで9連勝する快挙を飾った▼負け組系スポーツの筆頭はパ紙や日毎が力を入れた野球だ。思えば昨年新装開所されたボン・レチーロ区の日伯スポーツ複合施設には、仲良く野球場と相撲道場が並んでいる。この光景は「百年の重み」そのものだ。(深)