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ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第4回

ニッケイ新聞 2012年10月30日付け

 「そこから私たちは「サッカラ」(シャカラ)に向かった。密生した竹やぶがあたりに趣を添えている。そしてサトウキビ畑が緑の迷路を作っている。住宅に近づくと、堆肥がつよく匂った。異常な臭気、様々な物質が醸成するもの。人間の汚物の匂いに似ている」
 豚を飼ったことがある私には思い当たる光景です。そうか、近隣のブラジル人は、日本人の家は汚物がにおうといっていたのかもしれないと頷く。豚は身近な蛋白源でした。植物性食用油が高いというので、ラードを多用したっけ。「そうか・・、ジャポネースはくさかったんだ・・・」 私は軽くかわす。そういう評価にムキになることもない。ガイジンがチーズくさいのと同じ。要は認め合うことです。ここ生まれの人間は侮辱とうけとって平静にはなれないようですが、それに侮蔑を感じる必要もないじゃありませんか。ありのままでいこうと読み進みます。
 「私たちの前にいるのは家長のクモイツル・タケシ。しわの深い、つやのある顔、何回もするお辞儀。五分刈りの頭、白狐の友人の神主か坊さんのようだ。しかし、その笑顔の陰にある不安を隠せずにいる。われわれの旅行用のサファリスタイルは、まるで軍隊を思わせるのだろう。かれはひょろ長い首をふりながら、仕事の邪魔をされたくない様子を見せている。大きな鉈で牛のためにサトウキビを刈っている。竹で囲まれ、寝そべって口を動かしながら、赤い牛が飼いば桶に群れる水牛をいぶかしげにみている」
 クモイツルは出雲と解読できます。クモイツルと読ませているのはブッラク・ユーモア。タケシはヤマト・タケルのもじりでしょうか。白狐の友人の神主を連想するあたりは、神話の読みすぎかもしれないし・・・。
 ギマランエスの脳裏には出雲大社が浮かんでいたのでしょうかねえ。たまたま、私は日本人だから、クモイズルと出雲を結びつけることも可能でしたが、まるっきり異邦人には、雲をつかむような話になるでしょうから翻訳者泣かせだといわれるわけです。サファリスタイルを恐れる・・・。 これは戦前の移民にはかなり徴兵を忌避してきたものがいたことへの暗喩だし、ブラジルでも制服組に対する国民の感情はいつもネガチヴだからと,深読みすることもできますが・・・。
 「植えるのは、サトウキビだけ?」
 「ゼンブ、ウエル。コレイイ。ゼンブ ウエル、コレハイイ。タベル コトリ」
 「もうかりますか」
 「カミジャ、カッタ。カネナイ。カミジャ、カッタ。カネナイ」
 (訳者はカミジャが理解できない。神者?、上者?、金持ち?神州?)
 それほど、貧乏ではないだろう。日に三度食事しているのだから。強奪されると思うのだろうか。突然、家のほうに向くと、長ったらしいことばを「グチャグチャ」と一言でいった。すると、妻と娘が現れた。笑顔の美しい娘が、深々と膝に手を置くあのお辞儀をした。
 「サ、ハイル、ハイル」
 ・・・家の中は思いがけないほど質素で、その質素はわれわれの質素と異なっていた。何か古いチエが詰まっているような気がする。長持ち、戸棚、テーブル、ござ、家財道具。細君は売るための菓子を狐色に揚げている。笑顔ですすめてくれた。男は戸外の敵である小鳥たちを注意深く見守りながら、「ゼンブ ウエル、コレハ ボン。ゼンブ ウエル、コレハ ボン」
 「ぶら下がっているものがある。それは蛇の皮だった。男はまるで仏僧や仙人のように見えるのに殺生するのか。いやそんなことどうでもいいのだが、聞くところによると、かえるや蛇は幸運をもたらすというが、本当だろうか」(つづく)