ニッケイ新聞 2012年11月17日付け
終戦直後の勝ち負け抗争の中でも、陸軍予備大佐に自決を迫った上で拳銃により射殺するという異色の「脇山大佐殺害事件」——。その当事者の証言を集めた実録映画『闇の一日』(奥原マリオ純監督)の最終版がようやく編集を終え14日夕方、東洋街のイマージェンス・ド・ジャポン社に脇山家関係者8人を招いて試写会が行なわれた。
射殺した側の日高徳一さんの証言を軸にした暫定版の上映会が昨年末に文協で行なわれた際、京野吉男ブラジル陸軍予備大佐などの脇山大佐の親戚筋から「殺した側の一方的な話ばかり。殺された脇山家側の気持ちもきちん盛り込むべき」との強い抗議を監督は受けた。奥原監督は脇山家に取材し、1年かけて全編を編集しなおした。
試写会を終えた後、脇山家関係者は「これなら納得できる。我々の声がちゃんと反映されている」と口々に喜びあい、被害者と加害者の両側からみた立体的な視点を持ったコロニア史に残る作品になったことを全員が祝福した。
脇山甚作陸軍予備大佐の息子一郎の長女、佐藤脇山礼子さん(79、二世)は「45年8月17日に母が結核で亡くなり、翌46年6月におじいちゃん(脇山大佐)が殺され、父は50年に交通事故で…。わずか5年間に3人が死んで、私は専門学校を中退して結婚し、姉妹は親戚に預けられてバラバラに。ずっとアザール(不幸)続きだった」と振返り、「でも今は子供5人、孫14人、曾孫7人に恵まれた。あの頃は辛かったけど、今はトゥドベン。家族のことがこの映画でコロニアの歴史として刻まれたと思う」としみじみ語った。
奥原監督は「取材を始めた2000年頃、お父さんから『勝ち負けだけには手を出すな』『絶対にやめとけ』と何度も止められた。難しい映画になることは最初から分かっていたけど、僕はテイモーゾだから絶対に諦めなかった。昨日、日高さんにも電話したら完成を喜んでくれた。時間はかかったが、ようやくこれで一区切りになる」と満足した表情を浮かべた。
1970年代以降、NHKの紅白歌合戦を初めて当地に衛星中継したり、数々の日本の芸能人を招聘するなど日系テレビ放送事業の隆盛を実現した父奥原マリオ清政(きよまさ、02年没)の業績に対し、誰もがしり込みしたテーマに取り組んで実録作品にする形で乗り越えようとした息子の強い意気込みが溢れ、親子の葛藤が昇華された作品となったようだ。
21日午後7時半から沖縄県人会で『闇の一日』最終版の上映会、奥原監督とエスタード紙編集委員の保久原ジョルジ淳次さんとの対談などが行なわれる。