ニッケイ新聞 2012年12月1日付け
ブラジルにおける経済解説者の草分け的存在であるジョエルミール・ベチング氏が11月29日にサンパウロ市で亡くなった。75歳だった。11月30日付伯字紙が報じている。
1936年にサンパウロ州タンバウーでドイツ移民の子供として生まれたジョエルミール氏はサンパウロ総合大学(USP)で社会学を専攻。1950年代後半はスポーツ関係のジャーナリストとして、ジアリオ紙やラジオのパンアメリカーナ(現・ジョーヴェン・パン)局などで活動。1961年にマラカナン・スタジアムでのペレのシュートに感動し「記念プレートを作ろう」と提案したことでも知られている。
その後、経済ジャーナリストに転身、1968年にフォーリャ紙経済部長となり、70〜91年の22年間フォーリャ紙で、91年8月〜2003年12月はエスタード紙とグローボ紙で毎日、経済コラムを執筆した。
また、「神父に喉の病気を治してもらったおかげ」というよく通る声を生かし、テレビやラジオの経済解説者としても活躍し、グローボ局やレコルジ局、ラジオのCBN局などに出演。近年は2004年から出演していたバンデイランテス局の「ジョルナウ・ダ・バンジ」で知られていた。
学術的すぎてわかりにくいとされる経済を一般人にわかりやすく説明したジョエルミールの語り口は、経済ジャーナリズムの流れを覆したと言われる。本人は「よくやっかみ半分で〃経済界のシャクリーナ〃と言われたよ」と、60〜80年代にテレビの若者番組で活躍した名司会者と比較されたと語っている。
10月22日から自己免疫疾患でサンパウロ市南部のアルベルト・アインシュタイン病院に入院しており、11月25日に脳内出血を起こした。通夜は29日にサンパウロ市南部モルンビーで行なわれ、30日に火葬が行なわれた。