巨星ニーマイヤー逝く=ブラジルが世界に誇る建築家=「自由な曲線」で常識覆す=ブラジリアを世界遺産に
ニッケイ新聞 2012年12月7日付け
ブラジルが世界に誇る建築家オスカー・ニーマイヤーが5日午後9時55分、入院先のリオの病院で亡くなった。104歳だった。世界遺産にもなった首都ブラジリアや、ニューヨーク国連ビルなど、同氏の業績は20世紀建築のハイライトの一つだった。6日付伯字紙が報じている。
ニーマイヤーは1907年12月15日、リオ市ラランジェイラスのドイツ系の家庭に生まれた。祖父は連邦最高裁判事で、裕福な親類に囲まれて育った。父は活版印刷技師だった。
幼い頃から絵を描くのが好きだったニーマイヤーは結婚後の21歳頃建築家を志し、リオ国立美術大学に入学。在学中に当時ブラジルの建築の権威だったルシオ・コスタに弟子入りする。1936年、当時のグスタヴォ・カパネマ教育保健相から依頼され、教育保健庁設計プロジェクトに参加。そこでコスタから、「欧州近代建築の父」ル・コルビュジェを紹介される。ブラジル建築と欧州モダニズムを融合したニーマイヤーの建築様式はこのとき開花したとされる。1937年に初プロジェクトとしてのリオのオブラ・ド・ベルソ保育園を建築する。
ニーマイヤーの転機になったのは1940年、ミナス・ジェライス州ベロオリゾンテの市長だったジュセリーノ・クビチェック氏に、パンプーリャ湖沿岸の開発プロジェクトを請われたときだ。ここでニーマイヤーは、山脈や女性の体に着想を得たとされ、後々までトレードマークとなる「自由な曲線」を展開し、有名なサンフランシスコ・デ・アシス教会などを建築した。欧州式の建築理論を超えた様式はときに批判も受けたが、これがクビチェック氏の目に止まることとなる。
1947年には、〃世界の10大建築家〃のひとりとして、コルビジェらと共にニューヨークの国際連合ビルの設計プロジェクトに招かれ、同ビルの建築を手がけた(52年完成)。
1950年代にはサンパウロ市の都市開発プロジェクトに招かれ、50年にサンパウロ市中央部イピランガ大通りのモントレアル・ビル、51年にイピランガ大通りのコパン・ビルといった、現在でも著名なビルを建築。54年には南部のイピランガ公園プロジェクトも行なった。
そして1956年、ニーマイヤーは大統領となったジュセリーノ・クビチェックの下で、ブラジリアへの首都移転プロジェクトに関わることとなった。「本当に何もないところで、最初の1年は電話さえもなかった」と後に自身が語った不毛地帯に、ニーマイヤーは「自由な曲線」をふんだんに使用した建築物を次々と創出。それらはブラジリア大聖堂や国会議事堂、大統領官邸、外務省庁などの形で現れることとなった。
その結果、1960年に正式に首都となったブラジリアは世界的にも例がなかった近未来的な建築様式で溢れることとなり、1987年には人工都市としては異例の世界遺産の認定を受けた。(続く)