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ブラジル文学に登場する日系人像を探る4=マリオ・デ・アンドラーデの「愛は自動詞」=端役の日本人コッペイロ=中田みちよ=第1回

ニッケイ新聞 2012年12月11日付け

 文学の中に最初に日系人を登場させたのは、たぶん、マリオ・デ・アンドラーデです。そのうちまた何かの拍子に、日系人が出ている作品に出くわすこともあるかもしれませんが…。
 ブラジルの文学史を語るとき、1922年の『近代芸術週間』というのが必ず顔を出します。それまでも無論、文学はあったのですが、当時学校教育を受けられたのは一部の上流階級ばかりでしたから、作品が発表されると批評が載る。けれども純粋な意味での読者はいなかった、いても非常に僅少だったと私は考えています。文壇というのはごく内輪のもので、作品もヨーロッパに追随するものが多く、マシャード・デ・アシスなんかも剽窃だといわれたりしますからね。バッシングを覚悟でいえばみんな見様見真似で物を書いていたんです。
 この22年というのは、ソビエト連邦が成立したり、ムッソリーニがイタリアの首相になったり、また前21年にはヒトラーがナチス党首になったりとあわただしい時期です。
 日本も20年に国際連盟に加入したばかり。身近なところではメートル法。1924年に使用開始になっていますから、母たちの世代は、学校ではメートル法を学習しながら、日常的にはまだ尺貫法が大手を振っていたのか、と一寸、一尺というよび方に混乱した幼い日の私を思い出しています。
 そのうち、ヨーロッパに追随するのはやめて、ブラジル独自の文学をやろうじゃないかという動きが出てモダニズムが始まるんですが、この22年の芸術週間から30年ぐらいまでを第一期、それから45年までを第二期、それ以降を第三期とよんで分けています。
 もう少し細かくいうと、初期のモダニズム主義に異を唱えて現れたのが三期で、一般的に「45年世代」とよばれています。
 また、モダニズムというのは現状に対する不満から発表した作品が多く、それ自体統一的な革新概念をもっていませんでしたから、のちに分裂を始めます。まあ、当然といえば当然の帰結ですね。
 この近代芸術週間の旗手として登場してきたのが、マリオ、オズワルドの二人のアンドラーデです。前回いい忘れましたがギリェルメもその重要なメンバーでした。彼らは要するに仲間だったんですね。先頭を切ってマリオがニッケイの使用人を登場させ、プロレタリア運動出現にオズワルドが田舎の群像の中にニホンジンを投入し、最後にギリェルメが日本人街を登場させたという図式がわかると、理解が容易になります。
 マリオ・デ・アンドラーデの「愛は自動詞」が発表されたのは1927年ですから、ギリェルメの「コスモポリス」の2年ほど前になり、ここで日本人は、ずばりコッペイロとして登場します。
 日本人がコンデ街に巣食っていた時代で、文章力はまた、ギリェルメとは一味違うものがあり、作品のあちこちにほとばしる才気が感じられるのですが、ニッケイ人は見るべきものもないほんの端役で登場しています。
 考えてみれば、ミゲール・コウト博士が「もし日本移民の無制限入国を許せば将来ブラジルは日本に征服される」と演説した(ブラジル日本移民・日本社会史年表 558p)頃なのです。サンパウロのブルジョア階級における日常、その中にニッケイのコッペイロ・タナカを登場させることで、進歩的な彼から推してブラジリダーデを醸成させたいと考えたものだろうと、推測できます。
 『…トラについて話そう。ニホンドラは感電したように苛立ち、ぶつぶつ不平を述べた。たった一人で、邸宅の人間を手なづけなければならない。ドイツドラは、邸宅内のランクにしても、ヨーロッパ一般についても通じていたから、ばかにしたように舌打ちしながら教えた。ニホンドラは卑屈に頭をさげていた。しかし、仕返しはすぐやった。たとえば、伝言があるとしよう。ドアをノックし、「奥様がおよびです」とは伝えるが用件は言わない。ドイツドラは階段を降りて、ラウラ夫人が何を欲しているか聞きにいかなければならない。テーブルでもニホンドラは、悪意をもってわざと給仕をしない。けれどもドイツドラもすぐさま復讐する。ソウザ・コスタ氏や夫人がいる前で、給仕を強いるのだ。ニホンドラは卑屈になって給仕しなければならない。内心では怒りに狂っている。こんな風に二匹のトラは嫌悪しあっていた。ライバル意識をつのらせつめを研ぎあう。それぞれ、自分こそは屋敷を、庭園を仕切る者だと思っていた。あるいは将来はアマゾンからラプラタ流域にかけた領地の支配者か王になるつもりでいるかもしれない…』(つづく)