ニッケイ新聞 2012年12月13日付け
ブラジルを知る会(清水裕美代表)が主催するブラジル音楽評論家・坂尾英矩さん(ひでのり、81、神奈川)の講演会とショーロ・コンサートが10日夜、サンパウロ市ホテルのブルーツリー・パウリスタで開催され、駐在員を中心に約70人で賑わった。
同会の甲斐麻里さんの司会で進行し、まずは坂尾さんが「Vernaculidade」(国の独自性)をテーマに約1時間、サンバやボサノバに至るまでの500年の当地音楽史を、豊富な音源を駆使して講演した。
黒人奴隷が白人音楽の影響を受けてできたLundu、逆に白人が黒人音楽を取り入れて生まれたModinhaなど、当地音楽の源流を聞かせながら変遷を説明した。
サンバが戦後に米国音楽の強い感化を受ける中でボサノバが生まれ、58年にボサノバ第1号「Chega de Saudade」が録音された。翌59年にキューバ革命が起きたことにより、それまでニューヨークで中南米音楽を代表していたキューバ音楽が演奏できなくなり、代わりにリオで流行し始めていたボサノバが見出され、米国を通じて世界に広まったとの逸話を披露した。
「ブラジル音楽はポルトガルとも、アフリカとも違う。独自のブラジリアン・スピリットをもったもの」と結論づけた。
ボサノバが発祥の地では半ば忘れられた状態なのに、なぜ日本では熱心に愛好され続けているかについて、坂尾さんは興味深い自説を紹介した。あるブラジル人企業家が訪日視察の帰り、「日本は世界で唯一、色気たっぷりのマリリン・モンローよりも、チャーミングなオードリー・ヘプバーンの方が人気ある国だ」との日本人論を坂尾さんに語ったという。そこから発展し、「日本人にはソフトなものを好む性格がある。だから日本人はオードリー的な、品があってチャーミングなボサノバを世界で最も愛するのでは」との論を展開した。
7月に当地へ赴任した小宮将照さん(まさてる、39、長崎)は「とても面白い講演だった。サンバの歴史がわずか100年なのに驚いた」との感想をのべた。在伯6年の山田景子さん(33、熊本)は「もっと詳しく聞きたかった。音楽がいかに社会の動きを反映したものかが分かり、興味深かった」と語った。
その後、「トリオ・ブラジレイリーニョ」がショーロなど約10曲を演奏し、喝采を浴びた。7弦ギターの大御所のルイジーニョさん、息子のアドリアーノさんがカバキーニョ、歌手ラファエラ・ラランジャさんと白熱の演奏を繰り広げた。
清水代表は「会には20〜70代まで幅広い年齢層の方が参加され、積極的にブラジルのことを勉強されています。このような勉強会、小旅行などブラジルを楽しむ機会として、ぜひご参加ください」と呼びかけた。詳しくはブロク(www.nethall.com.br/shirukai_brasil/)、問い合わせは清水代表(11・99339・7002)まで。