ニッケイ新聞 2013年1月1日付け
ブラジル出版界の最高峰といわれる今年のジャブチ賞(Premio Jabuti、ブラジル書籍評議会主催)の中長編小説(Romance)部門を、日系人が初めて受賞した。その名も『NIHONJIN』(2011年、176頁、サライヴァ出版)。錦衣帰国を夢見て戦前に移住した誇り高き日本移民イナバタ・ヒデオが、厳しいコロノ生活の中ブラジルに適応できず、最初の妻を失い、子供2人とも確執を抱えるなど様々な苦悩を経験する物語だ。文芸界では突出した日系人の存在が未だ皆無である中で特筆に値する快挙であり、移民の歴史を知る材料を小説という形で一般に送り出した。パラナ州出身の日系三世、作者のオスカール・ナカザト氏(49)へのインタビューなどを通して、この作品と受賞の意義を考えた。
審査で『NIHONJIN』に満点を付けた理由について、小説部門の審査員3人の一人、辛辣な批評を行うことで有名な文芸評論家のロドリーゴ・グルジェルはフォーリャ紙(11月29日付)に寄稿し、次のように語っている。「ブラジルの日本移民の歴史を詳細に説明するのではなく、一個人や家族のドラマを、あくまで普遍的な人間の争いや葛藤として表現している。文章にも無駄がない」
1959年にできた伝統あるジャブチ賞は自然科学、経済、法律、建築、芸術、写真、コミュニケーション、料理、心理学、教育、翻訳など各分野29部門に分かれ、その年で最も優れた3作品が選ばれ表彰される。
出版界で最も権威ある賞と言われるが、その基準や結果はたびたび論争を生んできたことでも知られる。
実は『NIHONJIN』の受賞も、その例外ではなかった。10月18日にあった受賞の発表と同時に、「審査員の一人が、作品の質ではなく新人だからという理由で優遇したのではないか」と審査結果に異議を唱えるような、本人にとっては不名誉ともいえる報道が流れたのだ。
というのも、グルジェル以外の2人の審査員の評価だけで点を計算すれば、小説部門の一位は『NIHONJIN』ではなく、重鎮的存在の著名作家でブラジル文学アカデミー(Academia Brasileira de Letras)現会長でもあるアナ・マリア・マシャードの作品に贈られるはずだったからだ。
グルジェルは『NIHONJIN』に満点を付け、マシャードの作品にはゼロを付けた。10月24日フォーリャ紙にはマシャードの作品の版元関係者による「明らかに何らかの〃操作〃があった審査結果」とのコメントが載るなど、大きな話題を呼んだ。
ブラジル文学アカデミー会長にゼロ、ナカザトに満点
「確かに極端な点の付け方だと思った。もし僕が彼女(アナ・マリア・マシャード)でもおかしいと感じたと思う。でも、この議論は不快そのものだった」。ナカザト氏は11月28日夜、サンパウロ市のサーラ・サンパウロで行われた第54回目の同賞授賞式で本紙の取材に対し、率直にそう答えた。
受賞の知らせを受けたのは、住んでいるパラナ州アプカラナのスーパーで買い物をしているときだった。「編集者から電話があって受賞を聞いたんだけど、結果は議論の的になっているから覚悟してくださいって言われたんだ」と苦笑した。
マリンガー生まれ。サンパウロ州立大学で文学理論、比較文学で修士号を、ブラジル文学で博士号を取得し、現在はパラナ連邦技術大学(UTFPR)のアプカラナ校で文学と言語学を教えている。これまで短編小説は複数発表しているが、長編としては『Nihonjin』が処女作だ。
「ルーツに関係なく深い感動与える作品」
本作は昨年の文協主催「にっけい文芸賞」のポ語部門を受賞し、版元サライヴァ社主宰の文学賞「ベンビラー賞」を、1932の未発表作品の中で見事受賞している。本の裏表紙には、「ルーツに関係なく、登場人物や作品に描かれる葛藤に共感を覚える読者に、深い感動を与える作品」との審査委員会のコメントが載せられている。
「文学賞の審査には、必ず審査員の主観が入るもの。何よりも、賞を取ったことで話題になって、より多くの人に読んでもらえればそれにしたことはないね」。親族を連れ、有名な詩人のフェレイラ・グラール、国民的漫画家のマウリシオ・デ・ソウザ氏なども出席した華やかな授賞式に現れたナカザト氏は喜びを隠せない様子ながら、受賞に関してはそうコメントした。
授賞式に訪れた叔母のスガコさん(70、二世)によればナカザト氏の祖父、コウジ氏は長崎出身で1913年、12歳で移住した。後に見合い結婚した祖母は福岡出身だった。プロミッソンで農業を営み、13人の子供に恵まれた。
ナカザト氏は8歳頃までパラナ州フロレスタ市のシッチオで暮らし、幼少時は日本語の方が中心の環境だった。
しかし、成長するにつれて次第に日系社会からは遠ざかるようになった。作品の最初の読者だったという妻は非日系人。現在も居住地のアプカラナにある日本人会などとはほとんど関わりがなく、本の執筆のために行った調査では、誰かにインタビューをすることもなく、ほぼ資料を読むことで得られた知識をもとに書いたという。登場人物のモデルとなる人物も、特にはいない。臣道聯盟や、勝ち負け抗争のことも、それまでは全く知らなかった。つまり、コロニアの外にいる日系人だ。
「ガイジンのように生きたかった」青年が、日本移民の小説を書くまで
「若いときは、できるだけガイジンのように生きたかった」と言い切るほど、日本ではなく西欧のものに関心を持ち、実生活でも日系社会とはかかわりを持たない。なぜここにきて日本移民をテーマにした小説を書こうと思ったのだろうか。
きっかけは、「ブラジルの文学に作品する日系人」というテーマで論文を書くため、該当する作品を探したところ、極端に少ないことに気付いたことだった。
「ブラジルは移民の国。イタリア移民やポルトガル移民など、移民そのものはよくテーマに取り上げられているのに、日本移民はほとんど出てこない。それに落胆したんだ」
それならば自分で書こうと、歴史や社会学、人類学の本で調べて得た知識をもとに、1920年代にブラジルに移住した日本人を主人公にした物語を書き始めた。数年後には日本に帰って裕福な生活を送ることを夢見いた主人公イナバタだったが、ブラジルに着いたら、ひたすら過酷な労働が待っていた。
か弱かった最初の妻はコロノ生活に耐えられず年後に亡くなった。再婚した後は多くの子供に恵まれ、出聖してコンデ街で店を持った。
戦後の混乱期には臣道聯盟の支部に入るが、息子の一人が認識派だったため、勝ち組強硬派に狙われて殺害された。娘はいったん日本人と結婚して家庭を作るが、非日系人と駆け落ちするなど、一家には様々な事件が起こる。そして最後は、語り手で孫にあたる人物が日本へデカセギに行く前、祖父と会話する場面だ。年老いたイナバタは「自分の祖国はもうない」と言い、ブラジルを祖国と認める——。
グルジェルが「移民史を詳細に説明することなく——」と指摘した通り、作中は「ojichan」「sirogohan」「tokkotais」など日本語の単語が頻出し、それに対する説明が何もないところが、小説であることを実感させられる。これを非日系人が違和感なく読むかどうかはさておき、読み手は他国出身の移民が経験しなかった日本移民の労苦や軌跡を物語で読むことで、日系人や彼らが形成する社会への理解を深めるのかもしれない。
「大人になるにつれ、自分が日本人の子孫だと強く感じるようになった。日本語をもう一度勉強したいと思ったのも大人になってから。難しくて、あきらめたけどね」とナカザト氏は笑う。
「本は日本文化への愛と同時に、批評でもある。読んでもらえば、この小説は日系人が書いたものだということがわかると思う。僕ら日本人の子孫は、祖先が日本人だという事実による精神的重荷というものを抱えている。この小説がそれを伝えていると思う。僕は日系人であることに誇りを持っている。『ニホンジン』は日系人のための作品なんだ」
彼の次なる目標は何なのか。「自分の本業は教員。あまり書くことに時間は割けない」と言いながらも、すでに次回作の構想を練っている。またしても「日本移民」がテーマだという。
来年は、祖父が移住して100年目を迎える。「ナカザト家の歴史上、大切な節目の年。親戚みんなで、フェスタをやる予定です」。