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フォーメ・ゼロから10年=忘れられさびれる町=支援止まれば生きられぬ=貧困撲滅の道はまだ遠い

ニッケイ新聞 2013年1月15日付け

 労働者党(PT)政権発足の03年、ルーラ前大統領の選挙公約であった〃フォーメ(飢餓)・ゼロ〃のプログラム立ち上げ宣言の場に選ばれたピアウイ州グアリーバスは、10年後の今も、忘れ去られ、さびれた町のままと13日付エスタード紙が報じた。

 03年2月、〃フォーメ・ゼロ〃のプログラム立ち上げ宣言のため、全伯で最も貧しいピアウイ州で最も貧しいグアリーバスに、就任直後のジョゼ・グラジアノ飢餓撲滅局長官が降り立った。
 グラジアノ長官は到着するや否や、プログラム用の食料カード50枚を配り、「4年後にここに戻り、もうカードは要らないよねと言いたい」と語ったが、実際には、10年後の今も、87%の人が〃ボウサ・ファミリア(生活扶助)〃などの社会福祉援助を頼って生きている状態だ。
 フォーメ・ゼロは立ち上げ後、同じルーラ政権中にボウサ・ファミリアに取って代わられたが、PT政権で貧困、極貧層の人が減り、中産階級増加と報告される一方、職にありつけず、生活扶助の打ち切りを心配する人が数多く残っている。
 グアリーバスの場合、水道が引かれ、銀行や保健所が建ったほか、学校の数も増え、舗装道路も出来た。また、出生1千人あたりの子供の死亡率は30・3人から22・2人に落ち、学校の成績も向上、生き延びていくのが精一杯だった人々も飢餓状態は脱却した。
 だが、政府からの社会福祉支援を必要とする人は増える一方で、市役所以外、正規雇用の場がない。プログラム開始直後は州政府による〃フォーメ・ゼロ記念館〃と観光客用のホテル建設などで多少の雇用があったが、町に入る道路の整備も出来ておらず、2年前に記念館やホテルが完成して以来、サンパウロ州に出稼ぎに行く人の姿が当たり前の生活に逆戻り。観光客はゼロで、記念館とホテルは倉庫と化し、近くに出来たランショネッテなどは皆閉店という現状に、市職員も「改善は進んだが町の貧しさや忘れられた存在である事は何も変わってない」という。
 PT政権は貧困対策を看板政策の一つにしており、11年6月には〃ブラジル・セン・ミゼリア(極貧なきブラジル)〃も発表したが、教育や職業訓練が生活の質向上などの効果を表すのは農村部より市街地。農村部では他の支援策を併用しても市街地ほどの効果が出にくく、現在の貧困対策は持続性に欠けると指摘する声も出ている。
 空腹の人に魚を与えてもまた腹がすくから魚の釣り方を教えよとの言葉ではないが、職に就けず生活扶助の打ち切りを恐れる人が多い、生活扶助より高額の年金受給者が家族や親戚を助ける例も多い、正規雇用が増えてもその9割は最低賃金三つ以下、社会格差は依然大きいという現状は、真の貧困撲滅達成への道が遠い事も意味している。