ニッケイ新聞 2013年1月16日付け
三宅ミドリさん(22、四世)は週末のほとんどをストレス発散のために、ブラジル人の友人と愛知県豊橋市内のゲームセンターやカラオケに繰り出した。変わり映えのない日々に〃変化〃が生じたのは、学校を辞めて約1年半が経った頃、妊娠が発覚した時だった。
相手は付き合い始めて間もない8歳年上のブラジル人。「産むことに大きな迷いはなかった」という。話し合いの末、ブラジルに戻って育てることに決めた。「やはり〃自分の国〃で育てたいっていう思いがあった。彼もそれを強く望んでいました」。工場を退職し日本で出産、2009年末に帰伯した。
日本への定住も視野にいれていた両親の反対を押し切っての帰国だった。しかしパラナ州都クリチーバで始まった親子水いらずの生活は長くは続かなかった。
「彼とは結局半年で別れちゃいました。籍は入れていなかったので、あっさりと縁が切れてしまった」と話す声には寂しさが滲んでいる。
その後は祖母の家で息子と暮らしながら、日系の病院で事務員として1年半ほど働いたが、12年6月末の契約満了とともに解雇された。
「新しい仕事は探しているけど、なかなか見つからない。日本語を使った仕事が出来れば良いけど、選んでいられないから…」。現在は職を探しながら、高卒認定資格試験のための勉強もしている。「結局少し日本語が使えても、こっちでの勉強が出来ないと何もできない。日本で高校を中退したこと、ブラジルに戻ってきたこと、後悔の気持ちが沸くこともあります」との胸中を吐露した。(12年8月22日取材)
◎ 今をさかのぼること9年前——04年8月27日付けで本紙は、《四世への査証発給=聖総領事館、慎重に対応=旅行社ら「冷たい」と不満=入管法の改定訴える》という〃四世問題〃を報じた。
というのも、二世には「日本人の配偶者等」、三世には「定住者」という、それぞれ長期滞在用査証の取得権を持っている。だが、四世以降の日系人には日本長期滞在ための特別査証は用意されていないのだ。
おそらく、すでに四世世代が数千人以上も日本で生まれ、将来的には数万人になると予想される。たとえ彼らが日本で生まれ育って日本語しかしゃべれなくても、いったんブラジルに戻ってきて日本の永住査証が切れたら、一般のブラジル人と同じ扱いになり、もう日本に戻るためのビザはとれなくなる。
四世子弟をさらに難しい状況に落とし入れているのは、両親の離婚率の高さだ。二世、三世と世代を経るごとに混血率が上がることは周知の事実で、離婚率も高い。
現在の在日日系社会では片親が三世で、配偶者が非日系というケースがかなり多い。日系の親に引き取られた子供は日本滞在を続けるのに問題はない。しかし、非日系の方の親に引きとられた子供は、日本で育ったにも関わらず、成人して扶養家族でなくなったら、その日から日本には居られなくなる。
日本育ちの田中アルベルトさん(21、仮名)の場合も、日本での生活を望んだにも関わらず、止むを得ない事情でブラジルに戻った四世の一人だ。
三世の父と非日系の母の間に生まれた田中さんは、生後8カ月で家族と共に訪日した。ところが父は、物心つく前に母と別れて家を出て行き、音信不通となった。
このように事実上、日本で生まれ育ったに等しいにも関わらず、「四世」だからという理由で、見たこともない〃祖国〃へ帰らされる状況は、あまりに非人道的とはいえないだろうか。(13年12月23日取材、酒井大二郎記者)
写真=「子どもを育てていくためにも学校に入りなおして勉強したい」とも話した三宅さん