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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 5—オ・アンドラーデの『基点』—伯学校の奇妙な授業風景=中田みちよ=第3回

ニッケイ新聞 2013年1月18日付け

 いつでも、どこでも、胸を張って、日本人だとこたえていた子どもたち。日本という偶像が崩壊を始めるのは(そういえば『落ちた偶像』という映画がありましたネ)、中学生になり、ブラジル人としてのアイデンティティが芽生えるようになってからでしょうか。今、このトシになって、人知れず流したであろう子どもたちの涙がみえました。
 先生は出席を取るのをやめて、修身の勉強を始めた。「ジョズエ・デ・サントス! ブラジル人はどうやって死ぬの?」黒人の少年は足をふんばって椅子から立ち、白い歯を見せ、日本人のトラックの下敷きになった馬車引きのフェデリッコを思った。
 実際、日本人のトラックに轢かれた子どももいたんでしょうが、ここでの日本人はプチブルで、オズワルドに敵視されているように見えます。ブラジル人はどうやって死ぬのって、オズワルドはどんな答えを用意していたんでしょうか。唐突過ぎるなあ。そのまま、会話は続き、ズボンがなくて学校を休み、祖母の粉引きを手伝うために学校を休むカボクロと対比させます。
 前列の顔色の悪いカボクロの子は裸足にぼろぼろのシャツをきていた。「あら、イダリシオ、アンタ、来ていたの!」。教室中の視線がいっせいにあごの突き出たカボクロの口元に集まる。「どうして、こんなに休むの?」「バアが粉ヒクの…テツダウ…」「どうして午後からやらないのよ。勉強は朝でしょう。お昼から…」。
 カボクロの子は頭を垂れ、小さい声でいった。「ズボンがなかった…」「もう、いいからすわって、サ、書きなさい」虫が寄生している汚れた足が細いからだを支えている。エウフラジア先生は書き取りを始めた。
 ビッショ・ド・ペという足の指に寄生する虫がいて、移民たちも、仕事の後、夜カンテラの下で、指をほじって卵を穿り出すのが日課だった…思い出しましたねえ。
 これは戦前も戦後も同じで、体験的には60年ごろから農村の衛生問題が取り上げられるようになって、便所なども改善されて、それまでは野糞が一般的だったブラジル…体験的にというのは、政策として登場する年月日にこだわる学者先生たちのいう年代とは開きがあるということです。
 それにしても、脈絡もなく会話が進んで…、ある意味、実際、会話など脈絡などない支離滅裂の中で進むものだから、写実的だといえば写実的ですけどね。
 —ブラジルは世界でいちばん美しく、豊かな国である—(注・書き取りの文章)イダリシオ・ジアデルミノは書けずにチョークを握り締めていた。教室に叫び声があがり、先生が走った。イダリシオが目を回して床に伸びているのだった。
 食人運動の推進者としてのオズワルドが顔を覗かせます。面白いのはオズワルドの作品には自然描写が一切ないこと。彼の視線があてられるのは常に人物。人間に興味があったんですねえ。
 しかも、話が唐突です。だから、オズワルドの名が出てくるのは近代芸術週間と『ブラジル木』と『食人』の雑誌出版までで、そういう視点での功績はあるんですが、作品レベルになると一切名前が出てきません。ということは作品の評価はあまり高くない…。私もそう思います。思いつきで書いているような箇所が多いし文体にも情緒がない。というより荒っぽい。
 アマレロ(黄色)の子どもが説明した。「ニホンジンは倒れん…ランチをもってくるからネ」。エウフラジア先生が校長のアナスタシア先生に説明している。「この子どもたちは、何も食べずに3キロも歩いてくるんです。胸がいたみます」。
 先生は袋からチーズの一片を取り出すとイダリシオに与えた。休み時間にふたりの男子生徒が飛びかかってきた。イダリシオは盗られる前に大急ぎでほおばってしまったので、平手うちをくらった。破れた帽子と本をもってイダリシオは出て行った。
 道には牛がいた。エステリリニャかバローザという名前ならいいなあ。ウ、シと書いてみた。どんな農場のどんな牛でもよかった。みすぼらしい家にはバアが待っている。本は、この泥だらけのマラリアの地から、自分を遠くへ運んでくれる道具だ。「ウ、シ!」(つづく)